第一一章

Eine Katze wird in eine Stahlkammer gesperrt, zusammen mit folgender Höllenmaschine (die man gegen den direkten Zugriff der Katze sichern muß): in einem GEIGERschen Zählrohr befindet sich eine winzige Menge radioaktiver Substanz, so wenig, daß im Lauf einer Stunde vielleicht eines von den Atomen zerfällt, ebenso wahrscheinlich aber auch keines; geschieht es, so spricht das Zählrohr an und betätigt über ein Relais ein Hämmerchen, das ein Kölbchen mit Blausäure zertrümmert. Hat man dieses ganze System eine Stunde lang sich selbst überlassen, so wird man sich sagen, daß die Katze noch lebt, wenn inzwischen kein Atom zerfallen ist. Der erste Atomzerfall würde sie vergiftet haben. Die ψ-Funktion des ganzen Systems würde das so zum Ausdruck bringen, daß in ihr die lebende und die tote Katze (s. v. v.) zu gleichen Teilen gemischt oder verschmiert sind.

Aus "Die gegenwärtige Situation in der Quantenmechanik"
Erwin Schrödinger

猫を、以下に述べる悪魔的装置を付けた鋼鉄製金庫に閉じこめる(このとき、猫が直接装置に触れないようにしておかなければならない)。その装置には、ガイガー計数管の中に、ごく微量の放射性物質が入っている。ごく微量というのは、一時間後にもしかしたら原子が崩壊しているかもしれないし、同じぐらいの確率でひとつも崩壊していないかもしれない、というぐらいの量である。崩壊が起こると、計数管が鳴り、ハンマーへのリレー装置がスイッチが入る。するとハンマーは青酸入りのフラスコを粉々にする。この全体系を一時間放置しておき、その後に観察すると、もしその間にどの原子も崩壊しなければ猫はまだ生きている。最初の原子崩壊が起きていると、猫は毒殺されている。この全体系のψ関数を使ってこの事象を表現すると、生きている猫と死んでいる猫は等分に混じり合っている、あるいは等分に塗り込められている、ということになる。

エルヴィン・シュレディンガー『量子力学の現状』より

ヴィレッタがブリーフィングルームに着いたときには既にリュウセイとマイが着席していた。

ブリーフィングルームにはさらにもう一人、禿頭の男が座っている。体格はがっしりしており、率直に言えば太りぎみである。万丈が渡りを付け、ネート博士が協力を要請した人物だ。年の頃五〇ほどで、既に地位を確立した者に共通の、堂々としたと言うよりやや尊大な雰囲気が見て取れなくもない。リュウセイはさっそく禿頭の男と話をしていたようで、嬉しそうに輝いている目を見れば、何の話をしていたかは自ずと予想が付いた。

ヴィレッタは男に会釈してからリュウセイの方を向いた。

「ゼンガー少佐は?」

「さっきライに連絡したから、すぐに来るはず――」

リュウセイが答えている最中にドアが開き、(くだん)のゼンガーと、その警護シフトに入っていたライとアヤが現れた。

ゼンガーは見慣れぬ禿頭の人物に目を遣ると、じっと観察するかのように見据えた。見られた方もゼンガーを値踏みするように上から下まで眺めている。

やがて、この壮年の男が、かけたまえと自分の前の席を示すと、言われるままにゼンガーは男の前に座った。

「お前さんがゼンガー・ゾンボルトか」

「はい」

「質量変動を起こしている?」

「はい」

ふむ、と男はまたゼンガーを眺め回した。

科学者という人種の癖なのかしら、とヴィレッタは思った。多分に偏見が入った意見だったが、いままでヴィレッタが見知った科学者という人種は、多かれ少なかれこんな部分があった。こういう、好奇の方を優先させがちな。

ヴィレッタも含め、皆が男とゼンガーとを交互に眺めている。

「お前さんが未来から持ってきた刀の方の質量計測データは見た。質量変動は断続的な物ではなく、連続的な物だ。今この瞬間にも君を構成する粒子は出入りしている」

「……」

「そう。君は、多世界に渡って広がっているんだ」

「……」

ゼンガーは押し黙っている。本人が黙っているので、他の面々も声を出しにくい。

アヤは()し広げられたゼンガーを思い浮かべ、人知れず赤くなって自分の想像を打ち消した。

周りを混乱に陥れていることなど知りもせず、やけに快活に禿頭の男は断言した。

「つまり、だ。君はここにいるんじゃない。君はほぼ[#「ほぼ」に傍点]ここにいるんだ」

「……そうか」

「ゼ、ゼンガーさん、今の説明で分かったのかい?」

リュウセイが言うと、ゼンガーは首を振った。

「……説明はこれからあるものと思っている」

それを見て、男はつるりとした額に手を当てながら呵々と笑った。

「妙齢の美女の頼み事はどんな男のためなのかと思ったもんだが……気に入った。わしはエドモン・バチルス。科学者だ。お前さんの質量変動解明を請け負った」

よろしくご指導願います、と生真面目に答えるゼンガーを見て、エドモンの笑いが深くなった。

――なるほど、こういう奴か。

ゼンガー・ゾンボルトという名前はエドモンも耳にしたことはあった。といって、それは先の大戦の主戦力たるαナンバーズの一員としてであり、報道以上のことは知らない。火星に引きこもっているエドモンはその気になればどんな情報でも集める術はあったが、軍人という人種は彼にとって興味を引く存在ではない。今回の関係者で言えば、どちらかといえば、ソフィアの方が興味はあった。EOTを解析した若き科学者。

――と思っておったが、なかなかどうして、こいつもも面白いわい。

エドモンはゼンガーを眺めていた視線を外して一同を見回すと、おもむろにしゃべり出した。

「多元世界という考え方は知っておるか」

「平行世界のことですか?それなら、ある意味、我々には馴染み深いものです」

ヴィレッタが答える。

「ふむ、そう言えば、お前さんたちSRXチームはシステムXNの関係者だったな」

「ええ」

エドモンはゼンガーの方を指し、

「この男を構成している粒子はこの世界にちゃんと定着していない。おそらく、他の世界とこことを行ったり来たりしている。だから質量が変化するのだ」

「そんなことがあり得――」

ライが言いかけると、エドモンがすぐに遮った。

「現に起きているだろうが。まあ、他に質量変動が起こりうる現象を知らんわしが立てうる唯一の仮説でだというのは否定せん。だがな、言わせてもらえばわしはこの手の現象に関しては第一人者だ。わしが知らん新発見ならばどうしようもないが……」

「空間が変動しているのではありませんか?未来からアースクレイドルが転移したということを考えると、それは考慮に入れる必要があります」

ライが考えを口にすると、エドモンは言下に否定した。

「ならば、我々も質量変動を起こすはずだ」

「起こしてるのかも――」

リュウセイの言葉が終わる前からエドモンは(かぶり)を振った。

「それはない。各地の観測所に問い合わせたが、この辺り一帯の時空歪はアースクレイドル出現時に最大値を示し、その後、一週間余りで落ち着いている。それに、もしこれが空間変動によるものだとしたら、この基地内の人員の中にも意識の飛びを起こしたり倒れたりする人間が何人かいなければならない」

「ゼンガーさんが倒れたのと体重が変わるのは関係があるのか?」

マイが疑問を口にすると、

「おそらくな」

と、エドモンは再びゼンガーを見た。

「刀の計測結果と同じなら、お前さんの質量変動は数%の幅で連続的に続いている。今もお前さんは質量変動を起こしているはずだ。だが、この質量変動は、基本的には身体の全ての場所にわたって平均的に起きている。身体全体を全て合わせて数キロ程度の変動ならば、普段の生活に支障はない」

「そうなんですか?」

「粒子の出入りは瞬時なのだ。身体にとって異常と言えるほどになる前に回復するのだ。通常は」

「通常でない場合もあるのですね」

エドモンはヴィレッタに頷いた。

「確率的には低いようだが、どこか重要な器官に偏在的に現象が起きると――」

「気を失う」

ライが後を引き取ると、エドモンが大きく頷いた。

「身体に急に穴があくようなもんだ。無事なわけがない。他の症状も出るかもしれん。わしは医者ではないから何とも言えんがな」

「待ってくれよ。それ、すごく危ない状態なんじゃあねえのか?!」

リュウセイが驚いて声を上げると。エドモンは微妙な言い回しになった。

「安全だ、と断言することはできんな。ただ、すぐにも死にそうなのかと言われると、確率は低いのではないかとわしは思ってとる」

「どうしてですか?」

「繰り返しになるが、基本的には粒子の出入りは身体全域に分散しているからだ。しかも、一つの粒子が長い間無くなっているわけではなく、一回一回の『出‐入』の間隔は、コンマ一秒単位のものだ」

「先程も言っておられましたね。――消えてもすぐに戻ってくる」

「刀の計測結果と同じならな」

「アースクレイドルが出現した現象と関係があるのか?」

「そこだ」

エドモンは、よい質問をしたとでも言いたげに満足そうに顎をさすり、発言したマイに向かって二度頷いた。

「これはな、アースクレイドルが現れたのとは別な現象だ」

リュウセイは瞬きして周りを見回し、仲間も怪訝そうな顔をしていることにほっとした。

「いいか、アースクレイドルの出現では広い範囲に亘って時空歪が起きている。目下、この現象はアースクレイドルにあるアウルゲルミルといったか、あれのせいだと考えられているが、その可能性は濃厚だとわしも思う。それで、だ。――アウルゲルミルの時間跳躍は、そのコアであるアストラナガンとかいう機体なのだろう?」

「はい。イングラム少佐が設計した」

少し痛みを感じながらアヤが言うと、エドモンは少しの間、黙って、若い者たちを眺めた。エドモンもイングラムとSRXチームの関係を知らないでもない。が、気を取り直し、

「アストラナガンが正確にどのような機構を持っていたかは分からん。だが、イングラム少佐が研究のために調べていた資料を分析すると、彼がティプラー・シリンダーに着目していたことが推察される」

「ティプラー・シリンダー?」

「そうだ。大本のアイディアはずいぶん古い物だ。旧西暦の二〇世紀にティプラーという数学者が投稿した論文に現れるのが最初だ」

「どんな内容なのですか?」

「アインシュタインの名は知っておるか?」

「それは俺でも知ってるよ。相対論の人だろ?」

「その相対性理論は大きく分けて二種類ある」

「特殊相対性理論と一般相対性理論ということですね」

「そうだ。『一般』の方はずいぶんと複雑な式でな。いろんな場について解を探す試みがなされている。ファン・シュトッカムという学者の試みもその一つだ。ファン・シュトッカムは、高速で回転する無限長の円柱が生み出す重力場についてアインシュタイン方程式を解いておる」

「あのー、博士」リュウセイが手を上げた。「ティプラーはいつ出てくるだ?」

「ティプラーはファン・シュトッカムの解の可能性を示唆した、と言える」

「可能性?」

「因果律の乱れが生じる可能性だ。高速で回転する無限長の円柱の周囲には因果律の乱れが生じうる、とティプラーは発表したのだ」

「因果律の乱れとは、この場合、時間の流れの逆転ということですか?」

「そうだな。ティプラーは十分に長ければ円柱は有限長でもよく、それがタイムマシンになり得ると言ったのだ」

「だから、ティプラー円柱(シリンダー)

「そのとおり」

「タイムマシンはそんなに昔からあったのだな」

「そんなわけないでしょう、マイ」

アヤが言うと、マイが小首をかしげた。赤い髪がサラリと揺れる。

「理屈だけでまともに動くものができるなら誰も苦労はせん。それに、当時、一般相対性理論はまだ確実視されていなかった。個人的な見解だがな、EOTがもたらされず、また、イングラムという一個の天才が現れなければ、未だにティプラー・シリンダーは現実の物となってなかったのではないかとわしは思っとる」

それを聞いてヴィレッタは心の中で少し訂正した。地球にとってみればEOTとイングラムは表裏一体の物だった。その(ネフェシュ)の由来がどこであれ、イングラムも自分もバルマー無しに今ここにいない。

「……まあ、イングラム・プリスケンの言う『ティプラー・シリンダー』が元々ティプラーが提唱した通りの物だとは思わんが、少なくとも何らかの類似性はあるだろう。今説明した通り、ティプラーの理論は重力場が周囲の空間に対してどう作用するかというものだ。だから、それを実現したものであるならば、幅広い空間の時間制御であり、それは、ここに居るゼンガー・ゾンボルトに起きている災難とは違った事象になる」

「では、ゼンガー少佐の身に起きている現象は何なのですか?」

「ティプラー・シリンダーだマクロ的な制御法だとすると、お前さんに起きている現象は。物体を構成する粒子をミクロ的に制御し、多世界にアクセスさせる技術によって起きていると見られる。つまりは、わしのシンクロン理論の方が似ているのだ」

「じゃあ、もう解決は見えてるってことか?」

リュウセイが言ったとたん、たちまちエドモンの調子が落ちた。

「そいつは……まだ分からん」

「ええ!?だって……」

「お前さんたちはブライガーを見たか?」

「俺は見てる。隊長も見てるよな」

「ええ」

「ふむ。あれがわしのシンクロン理論の一つの適用だ。あれは、ブライガーの素材自体も特殊な物で、そこにシンクロン波ビームを当てて次元転移しやすい状態に粒子を励起させ、質量の遣り取りをやりやすくするわけだ。これも非常に制御の難しい物で、失敗すれば宇宙の崩壊も招きかねん」

「そんなヤバいもん使ってるのか」

「だからこそ、わしはあれを信用がおけ、かつ、高い技量をもつ者にしか運用させておらん」

「J9――アイザックたちですね」

「そうだ。ところで、ここにいるゼンガー・ゾンボルトは特殊な素材でできているか?――違う。マシンセルでも注入されて人ならぬ身になっているのか?――違う」

アヤは黙って聞いているゼンガーをそっと見た。その無表情に暗い物が射すような気がして、不安になったのだ。彼の周りには一人、マシンセルを注入されて人ならぬ身に成り果てた人物が居たのだから。だが、ゼンガーの表情に少なくともアヤに分かるような変化は見られない。

「どちらも当てはまらん。それはさんざんやった身体検査で証明されている。ここにおるゼンガー・ゾンボルトはまごうことなき生身の人間だ」

「では、この現象はどうして起きたのか、博士にはまったく分からないのですか」

「今はな。だが、なあに解明してみせる」

エドモンはこともなげに言ってのけた。それは、難しい病状の患者を前にして、医師がわざと希望があることを示唆してみせるようなものだった。そもそも、そういって見せなければエドモンがここに来た意味がない。

――人の……人の命がかかっているのです!

エドモンに依頼の通信をよこしたソフィアが、唯一、語尾を乱した台詞がそれだったからだ。まるで隠すかのようにすぐに冷静な調子を取り戻してはいたが、エドモンは、その台詞に混じった悲痛さを汲めない若造ではなかったし、その言葉こそが偏屈なエドモンを動かしたのだ。

「まずは、ネート博士と早いうちに討議の機会をもちたい。鍵はいずれにせよアースクレイドルとメイガスとマシンセルだ。これに関しての知識がわしの頭の中には無い。ネート博士はネート博士でシンクロン理論は専門外だろう。互いに情報を交換する必要がある」

「通信機器の使用許可は取ってあります。博士がネート博士のいる調査班のベースに連絡を取ることに問題はありません」

ヴィレッタがそう言うと、エドモンは大袈裟に眉を動かした。

「わしは好きな時に好きなように動く」

頑固そうな宣言に対してヴィレッタはやんわりと答えた。

「お手柔らかに、博士。ここが軍事基地であることをお忘れなく」

「……自分が何かしなければならないことはありますか」

ひと言も発せずに話を聞いていたゼンガーが問うと、エドモンはくるりと向き直った。

「現状維持だ、とりあえずな。あとで質量の計測をさせてもらう。刀の計測との乖離がないか調べたい」

「分かりました。もう失礼してよろしいでしょうか」

「かまわん」

ゼンガーはやや身を屈めて礼をすると、立ち上がった。

「どこに?」

「科学士官に定例の検査を受ける約束している」

「例の超長期冷凍睡眠の影響の?」

「そうだ。しばらく中断していたが、再開したいと連絡を受けた」

ゼンガーは表面何も変わらないように見える。マイはためらいながら訊いた。

「……ゼンガーさん、不安じゃないのか?」

質問の意味を取りかねたためか、ゼンガーは黙ってマイを見下ろし次の言葉を待っている。

「その……今の身体の異変が……不安にはならないのかと……」

訊いていいのかどうか分からず、マイの言葉は尻つぼみに小さくなっていった。

ゼンガーはやや考え込んだ。それから、言葉を選びながら答えた。

「俺には実感がない。エドモン博士が言うとおり命に別状があるとも思えない。それに、これは俺の身に起きた。だからだ」

「自分の身に起きたからこそ――」

「……他人の身を心配する必要がない」

そう言う意味で言えば、お前たちには気の毒かもしれんなと言い置くと、ゼンガーはいつもと変わらぬ足取りで出て行く。リュウセイが気を取り直して立ち上がり、

「マイ、行こう。俺たちの番だ」

「分かった、リュウ」

リュウセイに促されてマイは慌ててゼンガーの後を追った。

「なんともまあ大変な男だな」

エドモンは笑いを浮かべている。

「気に入りましたか?」

「まあな。さて、連絡を取るとするか。計測実験への配慮というやつはあるんだろうな、ヴィレッタ大尉?」

「ブライト艦長に相談してみます」

それから、ヴィレッタはアヤとライの方を向いた。

「ロバートが今日ここに到着するわ」

「ロバートが?もう少し遅くなると聞いていましたが」

「他のプロジェクト進行をやりくりしてくれたそうよ。基地に来る前に調査班ベースに寄ると言っていたけれど、午後には着くわ。システムXNの方も今日からが本番と言うことになるわね」

「分かりました。Rシリーズの準備をします」

敬礼と共にアヤとライも散っていく。

ヴィレッタは多難な前途を思って表情を引き締めた。

アースクレイドルの調査は順調だった。

認証システム突破にはまだ成功していなかったため、ゼンガーが基地に戻った一時期システムの調査は滞った。だが、構造物調査の方は進んだ。修復工事の入札を競り落とした建設会社が、かなりの人員を投入してきたおかげである。

ジュンは手持ち無沙汰で人々が動くのを眺めていた。

鉄也は兵士に同行させてもらって、アースクレイドルの奥の調査に向かっている。調査といっても索敵である。構造物調査の人員が増えたため、その分、兵士たちは索敵の方に割けることになったのである。

ヴィントソーという建設会社がどういう会社かは知らないが、「よい人材を抱えている」とはサイデンステッカー博士――イージーの評だ。これだけの人材を投入してきたということはそれだけ本気らしいな、とは鉄也の言である。口調は皮肉な調子だった。

ジュンはチラッとゼンガーを見た。

ゼンガーは少し前に基地からアースクレイドルに戻ってきた。アムロと万丈がやってきた時以来、ゼンガーがヴィントソー建設についてコメントすることは無かった。

「おかしいな」

ジュンはイージーの呟きに気がついて、歩み寄った。

「どうかしたんですか?」

「ああ、このデータを見てくれんか」

ジュンはイージーが指し示したディスプレイを見た。似たような折れ線グラフが四つ並んでいる。グラフは時間と共に刻々と変化していき、一定のインターバルで新しい画面に切り替わった。

「ゼンガー少佐、君も見てくれんか」

イージーが呼ぶと、ゼンガーもその長身をこちらに向けた。

「イージー博士。どうしましたか」

イージーは側にいる研究員を、促すように押し出した。白衣の研究員はゼンガーの強面に少し戸惑ったようだったが、すぐに説明しだした。

「私はエネルギー供給周りの調査を担当しています。こちらに表示した画面はアースクレイドルのモニタリングラインをどうにか拾った物なんですが……ゼンガー少佐、見覚えはありませんか?」

「……プラントのエネルギー生成状況を示すグラフだ」

「やっぱり!」

「な?」

ジュンは何が「やっぱり」で何が「な?!」なのかすぐには分からなかった。だが、眺めていて気がついた。

「ゼロじゃ……ない。全部」

「そう!そうなんだ、エネルギープラントは生きている、センサーとモニターが正しければ。供給の方に回すバイパスが死んでるだけなんだ」

ゼンガーはじっとモニターを見ながら腕組みをした。

「向こうでの半年間、ずっとエネルギーは駄々漏れだったのね」

「もっとだ。〈俺〉が帰還して一年、こっちに来てからも既に三ヶ月経っている」

ゼンガーは微妙な言い回しで訂正した。未来での出来事を知る人間でないと正確には理解できなかっただろう。

「いずれにせよ、勿体ない話だ」

「少佐、アースクレイドルにエネルギープラントはいくつあるのですか?」

「以前のままなら一〇基だ」

「一〇基か……」

「常時全て動かしていたわけではない。冬眠中は四基だけで賄えたはずだ。それも、万が一のために四基を動かしていただけで、四基動いていればそれぞれの稼働率は二〇パーセント前後で済んでいたはずだ」

そこでゼンガーはひどく難しい顔をして腕を組み、顎の辺りに拳を当てた。

「少佐?」

「本当に一〇基全て動いており、全てがグラフ通りの稼働率を維持しているならば、アースクレイドル――メイガスは今を『戦時』と認識していることになる」

「それは別に不思議ではないと思うが。ここが戦いの中で破壊されたのだとしたら、『戦時』という状態を解除する者はいなかったのだから」

だが、〈メイガス〉は自律し、ある程度の判断はする。

「……」

ゼンガーは沈黙を保った。確とした襲撃がない以上、それ以上の主張は出来なかった。

「供給ラインを直せたら、名高い〈メイガス〉システムをフルに使えるようになるわけだな」

「持ち込んだ機材に頼らなくて済むわけですね」

イージーも、一緒に来た調査員も光明が見えて喜んでいる。修復へのハードルが一つ減ったのだ。無理もない。

でも――。

ジュンはゼンガーを見た。ジュンが思ったとおり、ゼンガーは厳しい表情を崩していなかった。

調査班ベースはアースクレイドルから離れること三〇〇キロメートルの地点に設置されている。軍の機体が警備につくようになってからは、ずいぶん大所帯になっていた。

調査班ベースの中央部に、他とは違う大きなテントが九つ並んでいる。テントは一つ一つがかなり大きな代物である。覆いは二重になっていて、繊細な機材のために砂が入らないようになっている。

ソフィアは九つのテントのうち中央に設置されたテントの中にいた。ここが謂わば調査班の指揮室である。

「やはり排熱能力が十分ではないようですね、博士」

研究員の一人が額の汗を手の甲で拭いながらぼやいた。

「そうですね。もう少し排熱効率を上げないと、これ以上の高速システムは持ってこられないでしょう」

冬だったとしても、暖房は要らなかったに違いない。

日差しを避けるために薄い長袖を着ていたのだが、さすがにソフィアも袖を上げていた。きちんと折り返された袖口が、彼女の几帳面さを表している。

「機材の調子は?」

「やっとまともになってきました。最初のうちはスペック通りの速度が出なくて参りました」

「アースクレイドルの方も?」

「あっちに搬入した機材の方がひどかったようです」

「時空歪の影響かしら」

「だと思います。それと暑さと。戦艦みたいにシールドも無いし、軍備機器ほどの耐久性は持たせてませんからね」

「……それで、アースクレイドルからの問い合わせとは?」

「ああ、そうでした。実は、アースクレイドル内部のコンピュータの挙動がおかしいので――」

「どうおかしいのですか?」

「命令を受け付けなかったり、受け付けてもまともな速度で実行できなかったり。それで調査していたところ、割り込みの掛からないシーケンスをずっと繰り返していることが分かったそうです」

研究員がデータをモニタに呼び出した。

「実行シーケンスがこれです。どこが先頭か分からないんですけど、ちょっと止めますね」

流れ出していた文字(キャレット)が止まった。

「実行中のシーケンスをよく割り出せたわね」

「苦労したみたいですよ。信号の取り出しも、その解析も、そこから読める状態に持っていくのも」

「よくやってくれたわ」

「何の命令かは分からないんですが、何度も何度も再試行(リトライ)を繰り返していて、こっちの割り込みを受け付けないんだそうです」

「強制終了は?」

「掛からないんです。それで、サイデンステッカー博士から、物理的に切断していいものかどうか判断してほしいと連絡があったのです。ほら、サイデンステッカー博士はシステムの方は専門じゃないですから」

「そうね。このシーケンスがプラント制御系だったら、下手に止めると暴走するかもしれません」

ソフィアは軽く嘆息した。

「……やっかいね。OSがまともに機能していないコンピュータは」

「いっそ入れ替えたらどうですかね」

「入れ替える?」

「ムーンクレイドルのグロリアも謂わばメイガス・クローンなんでしょう?」

「無理でしょう。あのアースクレイドルは材質さえ以前のアースクレイドルとは変わっています。それを制御するメイガスは、私が設計したメイガスとは全く異質な物になっているでしょう」

「ああ、そうだった。忘れてました」

「クレイドル内部のどこかだけを無理矢理動かすだけでいいのであれば、確かにグロリアのコードが利用できるかもしれません。ですが全体を入れ替えるとなると、結局は大規模な作業になるでしょう。それなら、現状で動いている物を使える状態に持っていく方が早いと思います」

ソフィアは自分の額に浮かんだ汗をハンカチでそっと押さえた。

「そのシーケンスが何の命令なのかを解析するには、ハードの解析が進まなければなりません。そちらの解析班の作業を急いでください。人員を割けるようなら、まずはそちらを増員してください。まだ外部研究者が必要なら、どれぐらい必要か見積もってください。協力を要請します。シーケンス解析は今は六人体制でいいわ。とりあえずは私もそこに加わります」

「分かりました。手配します」

研究員がテントから出て行くのと入れ替わりで、人が一人入ってきた。人当たりのよい青年で、出て行く研究員と気安く短い挨拶を交わしている。青年はすぐにソフィアの方を向いて、手を挙げた。

「ネート博士。お久しぶりです」

「オオミヤ博士。よく来てくれました」

「ロブでいいですよ。みんなそう呼んでます」

ソフィアは表情を和らげた。

「基地にいらっしゃるのだと聞いていたのですけれど」

「ええ。ここには様子を見に寄ったんです」

「カザハラ所長はお元気ですか?」

「ええ。スレードゲルミルが見たくって仕方がないみたいで、仕事がなけりゃ飛んできたでしょうね」

「あの方もグルンガストの生みの親ですものね」

「ええ。なんだか変な対抗意識燃やしてましたよ」

「対抗意識とは?」

「マシンセルによる進化が人間による改良を凌駕するか否かですよ。グルンガスト参式が自己進化した物がスレードゲルミルですから。要は競争です、マシンセルとの」

「意外です。お会いした時はそのような方だとは思いませんでした。飄々としてらして」

ロバートはその時のことを思い出して苦笑した。

確かにジョナサンが飄々としていたのはいつも通りのことだった。

……ソフィアを食事に誘ったのも。

ソフィアの方はジョナサンの性癖に気づいておらず、おっとりとその誘いを受けていたので、周りで所員たちが青くなっていたっけ……

「自分の専門に関しては負けず嫌いなんですよ、あれで」

ソフィアがそれに対して何か言おうとした時、通信機が独特なコール音を出した。ロバートは、そちらを見たソフィアの表情が硬くなったのに気がついた。

「基地からです。少しお待ちいただけます?」

「お気遣い無く。退室した方が良ければ――」

「いえ、構いません。――はい、ネートです」

モニタに人が映ると、ソフィアは向こうへの音声を開かずにマブロック司令です、とロバートに説明した。ロバートはカメラの撮影範囲に注意しながらマブロックを観察した。どうせ基地にはこれから行くことになる。ということは、タカ派と噂のマブロックの管理下に赴くということだ。

〈ネート博士、こちらにあるスレードゲルミルの修復を先にしてもらいたい〉

「それは難しいですわ、マブロック司令。わたくしはアースクレイドル調査班を率いる立場にあります。こちらの作業を優先しなければならないのです。どうかご理解いただけませんか?」

〈スレードゲルミルはアースクレイドルから見つかったものだろう。ならば、同じ作業の範疇だ〉

「困りましたわ……」

ソフィアはやけに丁寧な応対を崩さない。そこに儀礼を嗅ぎ取って、ロバートは難しい顔になった。

つまりは、そういう対応をしなければならない相手って事か。

テスラ研みたいに自由に振る舞うわけにはいかないのは覚悟していたが、これは思った以上に面倒かもしれない。

「……でも、なぜ急に?わたくしが基地に居た時にはそのような要請はなさらなかったのに」

〈テスラ研からの応援人員がロバート・オオミヤ博士だったからだ。彼はグルンガストの開発者だ。ならば、あの機体の解析には適任だろう〉

急に自分の名前が出たので、ロバートは思わずピンと背筋を伸ばした。

「ですが、オオミヤ博士はシステムXNのために来たのではありませんか?今回アースクレイドルが出現した経緯を解明するために」

そして、あのゼンガーを帰す方法を模索するために。

とは言え、ゼンガーを未来世界に帰すことは、ある意味ブライトの独断であって、マブロックがすんなり同意するとはとうてい思えない。故に、ソフィアも今はそれには触れない。

「アースクレイドルが出現した理由が解明しないことには、この地の情勢は不安定なままです。いつこのような事件がまた起こり、その際にマブロック司令がおっしゃっていたように今度は万全の敵兵を引き連れていないとは限りませんもの」

違いまして?とわずかに小首を傾げてみせるソフィアの態度は、マブロックに逆らっているようには到底見えない。

〈……それも分からんではない。だが、鹵獲機はあれ一機だ。その解明も重要には違いない〉

「分かります。ですが、正直、その機体がこちらにないことには私は余り協力出来るとは思えません。――その機体、手元から放すのはお嫌でしょう?」

〈君はスレードゲルミルを基地から調査班に移管しろと言っているのか!〉

「そんなことは申し上げておりませんわ。現状では解析のお役に立つのは難しいと申し上げているのです。でも、そうですね……作業をするかどうかはオオミヤ博士にもご相談なさっていただきたいのですが、もし解析するのなら、データの遣り取りで済む範囲なら協力はいたしますわ」

〈いいだろう。後ほど方針が決まれば協力してもらう。以上だ〉

通信が切れ、モニターが暗くなると、ソフィアはふうと溜め息をついてロバートを振り返った。

「ごめんなさい、ロブ。あなたにマブロック司令の対応を押しつけてしまうことになります。もし、スレードゲルミルの解析作業をさせられそうになったら、うまくかわしてもらえませんか」

「別に解析作業に入っても構いませんよ。興味はありますから」

言った途端、ソフィアの表情が微妙な物になったので、ロバートはおやっと思った。

「スレードの解析作業は捗っていないのですか?」

「正直なところ、捗ってはいないでしょう。あの基地の主力はMSですから、技術者も研究者も専門外ですもの」

「なるほど、俺は飛んで火に入る夏の虫だったのかな」

「回収したのがラー・カイラムだった流れでアストナージさんがリーダーになって基礎的な解析は終えたようですが、その後の修復作業は手つかずで、放置された状態になっているのです」

「いつも大変だなあ。大戦中もαナンバーズのありとあらゆる機体を、マニュアル片手に苦労して整備していたみたいだし」

「ずいぶん困っていたようです。カミーユという方に連絡を取ったりしていろいろと試していました」

「カミーユに?」

「なんでも以前――と言っても未来の世界で、解析をしたことがあるそうです。スレードゲルミルがグルンガストであることを見抜いたのはその方だとか」

「でも、それは、映像データから見たモーションデータとフレームデータの解析だけでしょう?」

「そのようですね。結局、修復のヒントになるようなことは見つからなかったそうです」

ロバートはずいぶん迷ってからゆっくり言った。

「博士はどうなのです?」

「私?」

「正直に言います。俺はここにマシンセルのことを訊くために来ました。マシンセルさえ動けばスレードゲルミルは自己修復するはずだ」

「……あなたもスレードゲルミルを修復するつもりで来たのですか?」

「マブロック司令は難しい人のようだから、基地に行ってすぐに作業しようとは思いませんが。おそらく、司令が欲しいのはスレードゲルミルではないでしょう」

「……」

「スレードゲルミルを動かせるようにしたいだけなら、装甲素材を全て取り替えて、動作不良のシステムを変えてしまえばいい。それで人型機動兵器として動かすことは可能でしょう。でも、そんなことをするぐらいならば、新たな機体を開発した方が効率がいい。スレードゲルミルを苦労して解析しようとしているのは、何も人型機動兵器が欲しいからではないと俺は思います」

「軍が欲しいのはスレードゲルミルが搭載していた自己修復機能。そうですね」

「それが司令にとって一番手っ取り早い功績になるでしょうから」

「結局、問題はマシンセルなのですね……」

「そうです。マシンセルの兵器への適用」

ロバートはソフィアの様子を窺った。探るような物言いになったのは、ソフィアがマシンセルを兵器に使うことを良く思っていないと気づいたためである。

それに対して、感情を交えずソフィアは言った。

「私もあの機体の装甲素材の解析データは見ました。私が開発したマシンセルと同じような機能がある、少なくとも元々はそう機能するような物であったことは分かります」

「同じような?」

「……ええ。あれは私の開発したマシンセルではありません」

「何ですって?!」

ロバートは思わず声を高くして、しばし惚けたようにソフィアを見つめた。

そうなのだ。アストナージにしてもロバートにしても、ソフィアこそがこの解析における切り札であるはずだったから意見を求めたのだ。ソフィアの答えはその望みを完全に打ち砕いたことになる。

ソフィアは誰にも言わなかった。

自分が開発したマシンセルでなかったことに安堵したなどとは。

背の高い武人は(じっ)と立っていた。立って青い空を見上げていた。

このゼンガーは空を見ていることが多い。そう思うのは自分だけだろうか、とヴィレッタは思った。ふとした空隙に彼の視線は空を向く。空に何かあるのかと思うほど。

「各自、機体の調整に入って」

ヴィレッタはゼンガーを気にしつつ、号令をかけた。

今日はSRXチーム皆がRシリーズを収容した格納庫に集まっている。ヴィレッタは、それぞれの乗機をいじっている部下を見ながら、考えこんだ。

時空移動手段を模索するためにRシリーズを本格的に調整することになると、チームの人員をゼンガーの警護に割くことが難しくなる。そうなると、これを機にマブロック司令が基地の人員を付けると言い出すかもしれない。

マブロック司令の本来の命はゼンガーの監視である。ゼンガーに対する処遇はそれ相応のものになるだろう。それはヴィレッタの望むものではなかった。

ヴィレッタは横に並んでまっすぐに立っているゼンガーを見た。

ゼンガーはいつも峻嶺を感じさせる。険しく高すぎて人を寄せ付けない。

元々、ゼンガーという人物は他人に対して気安い方ではない。だが、イルイやネート博士の前でさえ和らいだ表情一つ見せないことがヴィレッタには気になっている。だからこそ、ゼンガーの周りには親しみを持って接する人間を配置しておきたかった。

ヴィレッタが見ていると、ゼンガーがヴィレッタの方に顔を向けた。まともに視線が合う。

「俺も作業を手伝おう。T‐LINKシステム絡みは分からんが、機動兵器として基本的な部分は多少ならば分かる。部外者が関わるとまずいならば止めておくが」

そういえば、こちらの世界のゼンガー少佐は大雷凰の調整に協力していたと聞く。ならば、このゼンガー少佐もサポートは出来るはずだ。

ヴィレッタは素早く申し出を吟味した。Rシリーズの管轄はこの基地ではなく極東基地だ。ゼンガーをテスラ研のように協力者と見立てれば極東の上層部は通せるだろう。要であるT‐LINKとトロニウムにさえ関わらせないと保証すれば、そう難しいことではない。それに、ゼンガーが常にSRXチームと一緒にいるのだとマブロック司令に報告すれば、警護人員の問題は解決する。

「……お願いします」

逡巡しばしの後、ヴィレッタが言うと、ゼンガーは重々しく頷いた。

「指示を頼む。そちらにも立場があるだろう」

「ご配慮、感謝いたします、少佐」

Rシリーズの搬入された格納庫にはスレードゲルミルも搬入されている。ゼンガーは今度はそちらに視線を向けたが、人影を見つけたからか急に大股で歩き出した。人影は長い金髪の青年で、丸眼鏡をかけている。

「オオミヤ博士」

ロバートはスレードゲルミル脚部を観察していたのだが、呼ばれて腰を伸ばし、振り返った。

「……驚いたな」

開口一番そう言うと、ゼンガーはやや眉を寄せた。

「聞いてはいたけれど……本当にゼンガー少佐なんですね」

言われたゼンガーが懐かしそうに目を眇めたのを見て、ロバートの胸の内に感慨が沸き立った。

今、ゼンガーはこの世界に二人いる。ただ、グルンガスト参式開発時、テストパイロットだったときのゼンガーは文字通りの意味で同一の存在だった。つまり、開発者としてロブはまさにこのゼンガーにも会ったことがあるのだ。それは、ゼンガーとの初対面が「メイガスの剣」としてのゼンガーであったリュウセイやヴィレッタとはやや立場が異なる。

「お久しぶりですね」

ゼンガーは頷いた後、口を開いた。

「調査班の作業状況を知っているか?」

「さっき、ベースに寄ってきましたよ。飛行禁止令をゼンガー少佐――ああ、あっちのですよ――が解除してから、機材の搬入が楽になったようです。ネート博士も今日輸送機でアールクレイドル入りするそうですから、作業も進むと思います。ネート博士はベースをもうちょっとアースクレイドルに近づけたいみたいでした。少なくとも、アースクレイドルが視認できるところに」

ゼンガーは頷くと、今度はロバートが見ていたスレードゲルミルの脚部を指した。

「スレードゲルミルを修復するのか」

「……いずれ手を付けたいと思っています」

ロバートは言葉を慎重に選びながら、ゼンガーの様子を窺った。

「……」

ゼンガーは黙ってスレードゲルミルを見あげた。

機体は、コクピットが開いたままで壁にしっかり固定されている。解析調査のために使ったのだろう、ケーブルが腕や脚に何本も絡み付いており、まるで拘束された人のようだ。

ロバート個人の興味としてはすぐにもスレードに手を付けたい。だが、仮にスレードゲルミルの修復が成功した場合、マブロック司令がこの機体をどうするつもりなのか。さらに、先ほど調査班ベースで会ったネート博士の意向も気になる。ネート博士の意志に反してまでこの機体に手を加える気にはなれなかった。

だが、ゼンガーは?このゼンガー・ゾンボルトには自らが振るう剣となる機体が必要なのではないだろうか?

シュっと格納庫のドアが開き、ロバートは考え事に流れていた頭の中を切り替え、入ってきた男に注意を向けた。

「ゼンガー・ゾンボルト少佐はいらっしゃいますか」

入ってきた中肉中背の兵士は、びしっと脚を揃えて返事を待っている。

「俺がゼンガーだ」

兵士はさっと敬礼し、

「搬入された機体のテストパイロットを依頼するよう言付かっております」

「……」

ゼンガーは黙って伝令の兵士を見下ろしている。

「ゼンガー少佐がテストパイロットだって?この基地の機体の?」

ロバートが訊くと、兵士はそのままの姿勢で答えた。

「は。自分は依頼をするようにだけ命じられました。ただ、ゼンガー少佐は我々の命令系統から外れていることは存じ上げております。お断りになった場合、自分はそのように上官に報告するだけです」

「この基地はMSが主力なのではありませんか?ゼンガー少佐はMS乗りではありません」

足早に近づいたヴィレッタが問い質した。リュウセイたちも作業の手を止め、成り行きを見守っている。

「は。機体はMSではありません。PTという種類のものだと聞いています」

「何だって?」

「もともと、混成部隊を編成するために配備予定だった物です。予定より早く搬入されました。協力いただけますか、ゼンガー少佐。お断りになるならなるで自分はその旨伝えねばなりません」

「……受けよう」

「少佐!」

驚いたロブが声を上げたのにも構わず、ゼンガーはヴィレッタにチラッと視線を流した。ヴィレッタは視線の意味に気づき、素早く機体の方にいるアヤたちの方に向かった。

「機体の準備は?」

「動かすぐらいなら。ただ、R‐GUNは……」

「T‐LINKのユニットが不調で外したばかりだ。動かせるまでにするには少し時間がかかる」

「分かった、マイ、俺が手伝うよ」

「お願いします、オオミヤ博士。マイはオオミヤ博士と共に作業を急ぎなさい。残りの三人は――」

そこでヴィレッタは声を潜めた。

「この協力要請には何かある」

「少佐もだから敢えて受けたのですね?」

「だと思うわ。三人とも、護衛にかこつけてゼンガー少佐についていきなさい」

「彼らが断ったら?」

「護衛任務もマブロック司令の命令よ。相反する命令は聞きかねると言いなさい」

「了解」

「私はブライト艦長に連絡を入れてから、少し探ってみる」

「お気を付けて」

ゼンガーと兵士は、アヤたちがやってきたのを見計らって歩き出した。兵士がついてくる三人に難色を示すことはなかった。

PTがあるという格納庫は、扉が開いた途端、しんと静かになった。開く直前まで話し声が聞こえていたというのに、ゼンガーたちが入った途端、作業をしていた男たちがピタリと動きを止めたのだ。

沈黙が降りた。

ゼンガーは周囲の様子など気にも留めず、格納庫の中程、機動兵器が固定されているところへと歩いていった。コツコツと長靴の音がいやに響く。

――ゲシュペンスト……

この機体にまた乗ると思わなかった。

誰もが黙ってゼンガーの挙動を見守っていたのだが、リーダーらしき男がおそるおそるといった調子で声をかけてきた。

「ゼンガー少佐……本物のゼンガー・ゾンボルト少佐でありますか?」

「そうだ」

本物の定義が難しいが、ゼンガーは頷いた。同時に階級章を読み取る。中尉である。

「αナンバーズの?」

危うく否定しかけて頷いた。ここではこの世界のゼンガーのように振る舞わねばなるまい。現状ゼンガーが二人いることを知っている人間は限られている。

「では、そちらの方々は?」

「SRXチームのアヤ・コバヤシ大尉です。こちらは同じくSRXチームのライディース・F・ブランシュタイン少尉、リュウセイ・ダテ少尉」

「名高いαナンバーズの方々にお手伝いいただけるとは、きょ、恐縮です!」

敬礼まで受けて、アヤは困惑してライやリュウセイを見た。リュウセイはきょとんとしており、ライは眉をひそめている。

「私はハーク・ハーツ。階級は中尉、PT整備班のリーダーを務めています。と言っても、今までMSしか扱ったことがないため、技術供与を今から受けるところでありますが」

「パイロットはどうした。このPT正規のパイロットは」

「近日中に配置される予定、と連絡を受けてから既に数週間経っております。ロシア基地から来る予定だったのですが、あちらの騒ぎが収まらず、遅れております」

「騒ぎ?」

「テロ騒ぎです。詳細は判明しておりませんが、コネクションが絡んでいる可能性が大きいそうです。大きな軍事行動には至っておりませんが、広範囲に多数起きているため、対応に苦慮しているとのことです」

「それでゼンガー少佐に?」

「ゼンガー少佐はゲシュペンスト乗りだったとお聞きしています。多分、それで上も協力を依頼したのでしょう。ご協力に感謝致します」

ハークの様子に何かを隠している様子はない。期待するような目つきは、純粋にαナンバーズだった彼らに敬意を抱いているようだ。

ゼンガーはハークの観察を終えると再び機体に向き直った。

「妙だな、この機体は」

「ああ、やっぱりそうなんですか」

「やっぱり?」

「制御OSが変なだけなのかと思っていたんですが、見ただけで分かるほど変なのですね」

「機体制御もおかしいのか」

「制御も?」

「俺が言っているのはあのノズルだ」

ゼンガーは、背面斜め下方に二本伸びているブースターのノズルのような物を指し示した。

「それはツインテール・ブースターという物で、かなり強力な飛行用ブースターだそうです。我々はスワローテールと呼んでいます」

なるほど、言われてみれば二本のノズルはまるで燕の尾のようだった。

「燕尾服というには不格好な」

ライは腕組みをして不審そうな面持ちをしている。

このスワローテールのせいか、背面のノズルもスタビライザーも大型化している。

「こんな機体、見たことも聞いたこともないぜ」

リュウセイの方は興味の方が勝ったようで、マニュアルを表示しているパネルを覗き込んだ。ゼンガーはハークに言った。

「乗ってみていいか」

「いいですよ。パイロットスーツはあちらです。ただ、動かすのは待ってください。全員退避しますから。――おい、足場下ろせ!」

準備を整え、久しぶりのコクピットに座る。座面も計器も操作パネルもひどく記憶を揺すぶる。

ゼンガーは背もたれに身を預け、一度深呼吸した。それから起動操作を始める。操作は前と変わらない。思い出すというよりも、身体に染みついていた。遠い昔に毎日倦くことなくモーションデータを取り続けたあの日々に染みついたものだ。

起動時の初期化はすんなり終わった。

〈ゼンガー少佐、退避完了しました。ただ、気をつけてください。そいつは操縦桿にあそびが無い〉

警告を受けて、ゼンガーはゆっくりとPTを立ち上がらせた――つもりだった。充分気をつけていたつもりだったのだが、それは跳ね上がるような動きになった。

なるほど、全員退避させたわけも、警告したわけも分かる。

「操作モードを変更する」

〈了解しました。どうぞ〉

モードをマニュアルに切り替えた上で、いくつか設定を変更する。操縦桿とペダルのあそびは多めに取った。OSで制御できる範囲には限界がある。本格的にやるならハードから調整しなければならないだろう。

「二歩歩く。充分離れろ」

〈了解。……退避しました、どうぞ〉

ゼンガーはゲシュペンストを言ったとおり二歩歩かせた。それだけで、おお、と歓声が上がった。よほど苦労したらしい。確かに、ゼンガーも歩かせることに成功したものの、操作があまりにシビアでとても使い物になりそうにない。

「この機体の武装は?」

〈今装備しているのはビームソードだけです。どちらにしろそのテールのせいで有効搭載量(ペイロード)が小さく、あまり積めません。載せられて銃器の類をあと二丁といったところでしょう。あるいは出力の高い長距離武器で狙撃するような運用がいいのかもしれません〉

「テスラ・ドライブが搭載されているな」

〈まだ実際に試してはいませんが、診断プログラムでは異常はありませんでした。正常に稼働すると思います〉

「ツインテールブースターは使えるのか?」

〈バイパスは落としてません。動作するはずです。ただ、初動でテールが水平に持ち上がるのですが、この格納庫内では初動すらチェックできません。見ての通り、もともと解析用のスペースなので、通常の格納庫より狭いのです〉

「一度、降りる。足場を寄越してくれ」

〈了解〉

だが、ハークが部下にそれを命じる前に、突然、基地内を警報が響き渡った。スピーカーに皆が注目する。

〈調査班ベースからアースクレイドルへ向かう輸送機が所属不明機の襲撃を受けている。ラー・カイラムは速やかに出撃し、ポイント二‐三五に向かえ。その他の者は防衛配置で待機せよ。都市防衛部隊は出撃体制に入れ。これは訓練ではない。繰り返す――〉

「何だと?!おい、作業中止だ!」

ハークは足場のことも忘れて叫び、すぐに部下たちに配備に付くよう命じた。

「リュウ、ライ、私たちも戻るわよ!ハーク中尉、足場を――」

「そうでした。おい!」

命じようとしたハークは、部下が入り口付近に群がって団子になっているのを見て、苛々と怒鳴った。

「何をやってるんだ!さっさと――」

「中尉、扉が開きません!閉じこめられました!」

「何?!」

聞いた途端、リュウセイは扉の逆、外へのシャッターの方に走り寄り、横の開閉スイッチを試した後、ガタガタとをシャッターを揺らした。

「こっちも駄目だ!」

――これが目的だったか?だが、何故?

疑問を抱いたとたん、ライの頭に閃いた物がある。

「ハーク中尉、外への連絡は取れませんか?!」

「……通信が切られている」

ライはさっと顔色を変えた。

「どうしたんだ、ライ」

「もしかしたらだが――マイやオオミヤ博士が危ない」

「何?!何でそうなるんだ」

「考えてもみろ。ここに俺たちを閉じこめる理由は何だ」

「出撃させないためじゃないのか?」

「違う、ここにいる人員を閉じこめたところで、基地の残り大多数が出撃可能なんだ。結果だけを見れば自ずと分かる」

「……私たちをあの格納庫から遠ざけるためだったというの?」

アヤが言うか言わないかの内にゲシュペンストから通信機を通して低い声が命じた。

〈機体から離れろ〉

「何をするつもりですか、ゼンガー少佐!」

ハークはマイクを食いつかんばかりだったが、何をするつもりなのかリュウセイたち三人にはほぼ見当が付いた。それは見当と言うより確信といった方がよかった。乗っているのは、あのゼンガーなのだ――

答えの代わりに、テールが勢いよく上がった。ブースターは扉を破壊し、足場をなぎ倒した。ゲシュペンストはそこで止まらない。腕が大きく引かれ――

「しょ、少佐!」

ゲシュペンストの腕は容赦なくシャッターに大穴を開け、破壊音でハークの悲鳴は掻き消された。

〈先に行く〉

「少佐!無茶です!そんな機体でどうするんですか!!」

外に出た機体が浮遊する。次いで、二本のブースターが閃光を上げた。それが答えといえば答えであったろう。

マイはR‐GUNのコクピットからロバートを見下ろした。いつも見上げているロブの金髪を見下ろしているのはちょっと面白い。そのロバートは機体をモニターするディスプレイを見ながら腕組みをしている。

「ロブ、言われたとおりにつないだ」

「チェックする。少しそこで待っていてくれないか」

「分かった」

腕組みをしていたロバートが、よし、と頷いた。

「ここまではOKだな。マイ、T‐LINKシステムのユニットが入ったボックスを開けてくれ。LS(T)って表示のヤツだ」

マイはもう一度コクピットに入って、言われたとおりにボックスを開けた。

「開けた。どうすればいい?」

「そこに端子が並んでいるだろう」

「たくさんある」

「赤い文字で記号が書いてあるヤツだ」

「L1、L2ってずっと番号が振ってある?」

「うん、それだそれ。そのケーブルをさっき渡したユニットに繋ぎ替えてくれないか」

「分かった」

ケーブルは細くてたくさんある。マイは切らないように注意しながら端子を一つ一つ繋ぎ替えていった。

「……できた」

「ちょっと待って……OK、大丈夫だな。よし、降りてきてくれ、マイ」

屈んだ姿勢でいたので、コクピットの外に出るとちょっとマイは伸びをした。足場を降りてロバートの方に歩み寄ると、ロバートがマイに小さなコントロールボックスを渡した。

「これは?」

「リモコンだな」

「リモコン?」

「T‐LINKシステムのテスト用のね。さっき繋いだのが受信装置だ。こっちのボックスで念動力を使って向こうにコンタクトする。それでカルケリアパルスがちゃんと来ていれば――」

「機体が動かせるのか?ストライクシールドみたいに?」

「はは、そこまでは出来ないよ。あれは増幅回路と補助動力があるからこその武装だ。このボックスでR‐GUNを動かそうとしたら、腕を持ち上げるだけで疲れ切って動けなくなる」

「そうなのか……」

マイが少し残念そうだったので、ロブはニヤッと笑った。

「今度は俺がコクピットに行く。俺には念動力がないから、このコントローラーを使うのは君の仕事だ」

「分かった」

マイが頷くタイミングと同時に警報が響き渡った。

「何だ?」

〈調査班ベースからアースクレイドルへ向かう輸送機が所属不明機の襲撃を受けている――〉

「……ネート博士の輸送機だ!」

「ええ?!」

「マイ、R‐GUNの調整は中断しよう。すぐには出撃できない。それよりも他の機体の武装チェックだ。きっとすぐにリュウセイたちが戻ってくる」

「うん」

「いや、待てよ……マブロック司令が出撃させてくれないかもしれないな……。取り敢えず、ヴィレッタ大尉に連絡を取ってみる。指示を仰ごう」

ロブは通信機の設置されている入り口の方に急いだ。解析装置の向こうにその姿が隠れたと思った時、

「ぐ……」

「ロブ?」

くぐもった声に驚いてマイが機器の向こうを覗き込むと、ちょうどロブの背中が崩れ落ちるところだった。

「え……」

何かしようと思うよりも前に、背の高い人影がマイの前に立ちはだかっていた。

誰?!

声を上げようとした瞬間、掴みかかられた。マイも一通りの訓練は受けている。しかし、十代の少女の華奢な体つきで出来ることは限られている。訓練を受けた者同士の格闘ではかなり分が悪い。気がついた時には、腕を取られ、羽交い締めにされ、大きな手で口を塞がれていた。

見知らぬ男に身体を拘束されている。

マイはパニックに陥った。

その間に戸口からは男があと三人次々に入り込んでくる。彼らが外への開口部を開くと、特機輸送用のキャリアが入ってきた。運転してきた男は車輌から降りると、マイを羽交い締めにしている男に近寄りひと言小声で、

「殺せ。面倒だ」

と言った。

「保険だ。基地を出るまでの」

マイを抱えた男の声が頭の上から聞こえる。

「それも悪くないか……」

その間に他の男たちがスレードゲルミルの方に近づいていく。

あいつら、スレードゲルミルを!

目的が見えてきた途端、マイは最初のパニックから立ち直った。

男たちは皆連邦の制服を着ていたが、スレードゲルミルに取り付いている男のうち一人には見覚えがあった。

あいつ、さっきゼンガー少佐を呼びに来た……!

まだ胸は早鐘を打っていて、身体は戦慄(わなな)いていたが、それでも。

何か。何かできないか?

手に力を入れた時、マイは自分がコントロールボックスを持ったままであることに気がついた。

落ち着くんだ。私だって軍人なんだ。SRXチームの一員なんだ。こんなときアヤなら挫けない。ライなら諦めない。リュウなら負けない。このコントローラーはT‐LINKシステムと繋がっている。多少なら……多少なら!

マイは身体の力を抜いた。

「?諦めたか……」

違う、諦めてなどいない。マイはただ意識を集中した。ゲートにアクセスした時のように。手の中の小さなボックスをしっかりと握りしめながら。

ガコン。

ごく僅かに動いたR‐GUNに、男たちの動きが止まる。

キャリアの運転手が顎をしゃくると、スレードゲルミルに取り付いていた男が俊敏な動きで戻ってきた。何も言わずにR‐GUNのコクピットへと上がっていく。

その時、マイは自分の意識に触れる物が在ることに気がついた。いや、むしろ、鋭く研ぎ澄まされたマイの強大な念に人の気配が掛かったのだ。

ライが入り口……アヤは機体の足元……リュウは上の足場……

マイは目で確認したいのを必死に(こら)えた。男たちに気づかれてしまっては台無しだ。

コクピットを覗き込んだ男が首を振る。

「誰も居ない」

「何……?」

男たちの視線がマイに集まった。

「こいつが、SRXチームだとすると……妙な力があるんじゃなかったか」

「……殺すか」

マイを拘束する腕に力が入った。男の左手が肩をしっかりと固定し、右手がマイの頭頂にあてがわれる。口から手を放されたのに、マイには声を上げることすら出来なかった。恐怖がまた昇ってくる。男にはマイの首を折ることなど簡単なことだろう。

――リュウ、リュウ、リュウ!

それだけしか頭の中に浮かばなかった。

と、ターン、と銃声が一発。

「ぐ……」

マイの頭の上に血が降った。同時に、男の腕から力が抜ける。マイは必死に男の身体を振り払った。

「マイから離れろおおおおお!!」

叫び声と共にリュウセイが降ってきて、キャリアの運転手に両腕を振り下ろす。床に着地すると同時にリュウセイはマイを自分の脇に引き寄せた。

「大丈夫か、マイ」

リュウセイは油断無く残りの男を見ている。ライは入り口でライフルを構えたままだ。

残りの男たちは、何も言わずに散った。

〈逃がすもんですか!〉

ピンと張った声が格納庫内に響き渡った。

「え……アヤ……?」

「あ、アヤ、まさか……」

「大尉、こんなところで?!」

〈行きなさい!!〉

その途端、ゴゴゴゴと続け様に四つのストライクシールドが放たれた。格納庫の狭い空間に放たれたシールドは、発射とほとんど同時に床に着弾し、逃げようとした二人の男を囲んで捕らえていた。

だが、残る男は別方向の出口に既に到達している。

リュウセイが走り出す。ライがライフルの照準を定める。

「待て!」

待つはずがない。男は扉を開け――その場でゆっくりと両手を上げた。

「残念だったわね」

ヴィレッタの構えた小銃が男の鼻先に突きつけられていた。

ソフィアは輸送機内に着席し、窓から外を眺めた。機体は離陸のため、平坦な直線を稼げる場所へゆっくりと動き出している。

軍保有の輸送機を人員ごと回してくれたところをみると、何かと異を唱えてくるマブロック司令もアースクレイドルの修復には反対する気はないようだ。

航路の偵察に出た甲児から、少し前に連絡があった。ここからアースクレイドルまで敵の姿はないとのことだった。結局、襲撃があったのはソフィアがアースクレイドルに足止めされていたあの時だけ、ということになる。

早乙女研究所から派遣された四人は、編隊を組んでアースクレイドル周囲の航空写真を撮りに行った。研究班ベースを移すに相応しい場所を選定するための判断材料にするためである。衛星のデータを使って範囲は絞ってある。二機ずつ二手に分かれているので、今日中に作業は終わるはずだ。

ソフィアは手元の端末に目を落とした。

〈クレド転用を許可する。ただし、条件は以下の通りである――〉

「良かった……」

ソフィアは呟き、ほっそりとした指で無意識に自分の唇を軽くなぞった。

クレドは今回の事件が起きる前までソフィアが心血を注いでいたシステムで、ソフィアが手がけた大規模システムとしてはメイガス、グロリアに続く第三の物になる。ソフィアはそれをアースクレイドルの調査に転用しようと考えていた。

クレド構築は学術用の大きなプロジェクトのサブプロジェクトとして走っていたため、この転用には難色が示された。研究統括責任者は、科学者は軍とは距離を置くべきだという考えの持ち主だったし、ソフィアもそれに同調する部分が無くもない。

生き延びるためにと何もかもを必要悪と言い出してしまっては、歯止めが効かなくなる。たとえ難しくとも矛盾を孕んでいようとも、科学の先端を行く者は常に注意を払う義務がある。そう、科学者は熟練のパイロットが奪う命より遙かに多くを時に奪うことが出来るのだから。

胸に落ちた暗い物を振り払うように、ソフィアは首を振った。

調査班ベースを移さないと。それにはまず調査班護衛の采配を振るゼンガーの許可を得、それから輸送の手配をして……そうだった、あまりコンピューターに向いた気候とも言えないから、それなりの――

輸送機がガクン、と一度止まったのでソフィアは窓の外を見た。滑走が始まるのだ。一番前に座るパイロットは二人とも総飛行時間の長いベテランで、ベテランらしく油断のない軽い緊張を見せていた。

やがて、背もたれに身体を押しつけられる感覚が起きた。滑走が始まったのだ。

――?

後ろに流れすぎていく視界の端にソフィアは違和感を感じた。自分が感じた違和感が何だったのか確かめようと、座席に押しつけられる首を無理矢理窓の方に向ける。後ろを確かめて、ソフィアは息をのんだ。

おかしい。

アウセンザイターが配置についていない。

この輸送機の護衛に就くはずなのに。

「機長!」

安全のためと言われてソフィアは翼近くの席にいたのだが、それが裏目に出た。エンジンの轟音で声が掻き消されている。

通信機はないの?

手元にあったスイッチを押してみる。手元が明るく照らされた。読書灯だ。ソフィアは腹立たしさのあまり、わずかに声を立てた。とたんに、ふわっと身体が宙に浮く感覚があった。

ソフィアはシートベルトを外し、座席の背もたれにすがりつきながら傾いた機内を前へと移動していった。ドン、とぶつかるようにパイロットの席を掴むと、モニターから目を離すわけにいかない機長は一瞬だけソフィアを見て、前を見たまま怒鳴った。

「何をしてるんですか、博士。座ってください、早く!」

負けずにソフィアは言った。

「アウセンザイターがキャリアーの上に載っているのです」

「なんですって?」

護衛機が出撃体勢に入っていない。その意味が分からないわけがない。さすがに反応は早かった。サブパイロットはすぐに地上との通信を開き、ヘッドセットの耳当てを右手で押し当てて何やら遣り取りを始めた。その遣り取りはすぐに剣呑な物になり、若いパイロットは相手をずいぶん罵りだたした。

「もういい、やめろ。地上は素人だ」

自分もヘッドセットからの声に耳を傾けていた機長がとうとう止めた。

「どうしたのですか?」

「申し訳ありません、ネート博士。私のミスです。アウセンザイターが陸路だと聞いた人間が、先発のダイゼンガーと同様だと思ったらしく、せっかく出撃できるようになっていた物をわざわざキャリアーに乗せたとのことです」

「基地だったら有り得ないですよ」

さっきから悪態をついていた若いパイロットが横から言った。

「しょうがない、にわか管制だ」

「どうするのですか?」

「レーツェル少佐が一五分欲しいと言っています。燃料は十分にありますので、しばらく旋回します。機体が傾いたままになります。座席に座ってシートベルトを付けてください」

「分かりました」

ソフィアの乗っている方の翼がやや上がった。

機長の説明も対応も丁寧な物だった。この人はきっと信頼できる。

ソフィアは再び端末に目を落とした。

が、今度は機長の方から切迫した声が掛けられた。

「ネート博士、旋回は中止し、着陸します!」

「何があったのですか?」

「識別不明の機体が編成を組んでこちらに向かってきます」

「ええ?!」

ソフィアは思わず窓の外を見た。だが、すぐに思い直した。コクピットの方はレーダーを見ての判断のはずだ。見えるはずがない。

と、思ったとき、下方を光が通っていった。

「砲撃?!」

「識別は?」

「不明です、降りられません!どうしますか!」

「アウセンザイターは?!」

「もうすぐ立位に移行します!」

再び閃光。

「くそ、反応消えたぞ!」

怒鳴り合うようなやりとりを一度止め、機長がソフィアに話しかけてきた。

「博士、敵機は西から来ます。我々は基地へ向かいます。その間にアウセンザイターも出撃体制が整うはずです」

「お任せします」

「了解」

輸送機の機首が基地のある北東を向く。速やかに動き出したところに強い口調で通信が入った。

〈違う、そちらではない!〉

レーツェルだった。叫びに焦りすら含んで。この男に珍しいことに。

アウセンザイターが立ち上がりきる前にレーツェルは機体を発進させていた。

〈どういうことです、少佐〉

分かる。敵機はそろそろ視認できる位置だ。輸送機が調査班ベース上空を位置取りできないのは分かる。だが、嫌な予感がしたのだ。――するのだ。

アースクレイドル側からの砲撃を囮と反射的に思ったのはレーツェルの直感だった。が。思考の反射の理由にはすぐに思い当たった。アースクレイドル方向には差したる拠点がない。そして、先に甲児もゲッターチームも敵機について連絡はしてきていない。伏兵がそんなに伏せられたわけがない。

そこまで理屈付けをしたときに敵は正に基地方向から現れた。その数、一〇。正面からのシルエットがXの形をしている。識別は不明。大きさは戦闘機ぐらい。レーツェルの知る限り軍用機では無い。そして、地中勢力の物でもない。

そうか、人間の機体だったのもさっきの判断の理由か。

まるで他人の思考を反芻するようにレーツェルは思った。

調査班ベースからアースクレイドルにも基地にも連絡はしたはずだ。時間を稼げば援護は来る。各機体のレコーダーは勝手に走り始めている。敵機の正体はそれを分析すれば後でも分かる。ならば自分の任務は敵の撃墜のみだ。

アウセンザイターを前進させる。滑らかに機体はスピードを上げた。と同時に、レーツェルは砲を挙げ、即座に撃った。狙い定めた物ではない。威嚇である。

さっと散った敵の鼻先に置くように更に速射する。爆炎が上がる。輸送機の翼が煽られて揺れる。

レーツェルは次を撃とうとして、奥歯を噛みしめた。

――近すぎる。

アウセンザイターの砲撃を避けて一散り散りになった敵機は、墜ちた者など見向きもせずに、即座に輸送機に群がった。それこそへばりつくように。

撃てば輸送機を避けて命中させることは自分には可能だ。だが、それによって巻き上がる爆風を、輸送機は防ぐ術がない。

機を窺うことだけは止めずにランツェ・カノーネを構えたままでいると、輸送機がぐん、と下方に下がった。急な動きに敵が一機離れる。

「いただく!」

〈……さすが!〉

爆音とほぼ同時に若いサブパイロットが叫んだ。喜びのようでいて、緊迫感は抜けていない。自分への鼓舞なのだろう。

「そちらもな」

〈相手を離せ!どの方向でもいい!機体から離しさえすれば、確実に墜としてもらえる!〉

今度の声は敵を引き離した機長の方だろう。

だが、輸送機と戦闘機では端から機動性が違いすぎる。奇跡はそう何度も起こらない。敵機は輸送機下方に固まって、機銃を斉射した。自然、輸送機は高度を上げざるを得ない。

〈くそ、しつこい〉

それに、腕もいい。

あのようにピッタリとぶつからないように付いていくとは、いかに輸送機が機動性に劣るとはいえ難しいことなのだから。

「クッ……」

敵はアウセンザイターには全く向かってこない。アウセンザイターに飛行能力はない。輸送機の高度が上がれば、引き離されてしまう。輸送機は敵に(たか)られるがままだ。輸送機に付けられた機銃如きでこの数は墜とせない。

レーツェルはカノーネを右手に構えたまま、輸送機を追って機体を駆った。

嫌な汗が流れた。

失うわけには……失わせるわけには……!

と、突如、何かがレーダーの片隅に映った。何らかの機体を示す光点は見る間に近づいてくる。

その数、一。登録がない。またアンノウンである。

不明機は基地の方から(まっしぐら)に突進してくる。それは――

「ゲシュペンストだと?!」

機体が肉眼ではっきり識別できるようになるなり、レーツェルは思わず知らず声を上げていた。

だが、あんなゲシュペンストは見たことがない。長いノズルを後方に立ててあんな速度で飛来するゲシュペンストは、レーツェルも知らない物だった。

ゲシュペンストは有り得ないほどのスピードで突っ込んでくる。そのトップスピードを維持したまま紺青の機体が輸送機下方を攫った。特攻された形になって、避け損ねた敵戦闘機が一拍おいてから輸送機後方で爆炎を上げた。

急停止して始めてそのゲシュペンストがレーザーブレードを構えていることに気がついた。

〈下に……〉

通信機から流れた声にレーツェルは驚かずにいられなかった。

〈ゼンガー?!〉

ダイゼンガーに乗っていないということは、それは――

〈ゼンガー……ゼンガーなのですか!?〉

ネート博士も〈彼〉が誰だか気づいたはずだ。何よりゲシュペンストはアースクレイドルではなく基地から現れたのだから。

〈ネート……博士、下……へ……〉

なぜかゼンガーの声はくぐもって切れ切れだった。

「どうした、ゼンガー?!」

だが、ゼンガーはそれに答えることが出来なかった。コクピットの中でただ荒い息をつく。高速のために押しつけられていた身体はもう解放されているはずなのに、思うように身体が動かない。視界が暗い。灰色だ。どくどくと頭部の血管が脈打つ。吐き気。

ガガガガと機体が衝撃で揺れた。

はっとゼンガーは顔を上げた。

今のは機銃の掃射か。操作もできずにうずくまっていたとは。

ゼンガーは口元を左腕で拭うと、操縦桿を改めて握りしめた。灰色の視界の中、発光するモニターに文字が映る。チラチラとその文字が揺れて見える。自分が上を向いているのか下を向いているのか分からない。

右手を引く。レーザーブレードを構えたつもりだったが、機体の腕は仰け反ったような状態にまで跳ね上がっていた。

この機体がまともなのはテスラドライブだけ――いや、装甲もだ。でなければさっきの機銃で墜とされている。特機並みとは言えずとも、戦闘機の機銃ぐらいならあと数度持ちそうだ。

――十分だ。

〈素人か、あのパイロット!〉

通信機を通して悪態が聞こえた。輸送機のパイロットだろうか?

〈だが、下はレーツェル少佐だ!〉

〈だって、あんなのにウロチョロされたら、間違いで墜とされかねない!〉

視界に色が戻ってくる。モニター越しの景色がだんだん分かってきた。輸送機が見えてくる。窓に両手をぴったりと貼り付けて心配そうにこちらをみている女も。

視線が、()った。

ゼンガーはぐっと機体を輸送機から離した。女の顔が遠くなる。避けた右横を砲が摺りぬけていく。

テスラドライブを操りながら、慎重に腕を固定する。レーザーブレードが思ったとおりの位置で前方に突き出された形になった。

腕部固定、四肢操作系固定。各部ゲージ、全表示。

バッとモニター両脇が文字だらけになった。水平垂直と敵機との間隔表示がめまぐるしく変わる。

この手の操作はレーツェルの方が得意だったな。

数値を読み取り、転身する。

テスラドライブしか利かないということは――

――テスラドライブは利くということだ!

「参る!」

咆える。急加速。腕は固定されたまま、光る刃は固定されたままだ。だが、腕を突き出したゲシュペンストの一種壮絶な突進が、敵を刺し貫いた。

と同時に行く手を乱され離れた別の戦闘機をレーツェルが正確に墜としている。

以前に、気の遠くなるような昔に、還った気がした。

ゼンガーは背後を振り返り、即座に戦闘機と輸送機の間に割り込んだ。

機銃が機体腹部を打つ。だが、装甲は保った。

輸送機を確認すると、ソフィアが口に手を当て、目を見開いていた。無理もない。撃墜されたと思ったとしても不思議ではない。ゼンガー自身、装甲が保つという確信はなかった。

その時だ。

何故、と問われれば分からない。

だが、ゼンガーには〈分かった〉のだ。

それが飛んでくることも、飛んでくる方向も。

すっとゼンガーは機体の噴射ノズルを閉じた。一瞬の浮遊感の後、重力に従って機体が落ちる。その頭上を巨大な金属塊が飛んでいった。

爆音。降りかかる敵機の破片。

敵を粉砕した金属塊――斬艦刀――は、既にそれを投げた機体の元へと戻っている。

――ダイゼンガー……だったか。

ここに至って、敵戦闘機は揃って機首を転じた。残り少ない戦闘機で人型機動兵器を相手取るのは無理と踏んだのだろう。奇襲が長引いた段階で彼らの作戦は失敗したのだ。

輸送機は着陸した。機体の動きが止まったところで若いパイロットが背もたれに体重を預け、天を仰いで大きく息をついた。

「ありがとうございます、機長」

ソフィアが言うと、いえ、と短く言った後でメインパイロットはソフィアを振り向いた。

「残機は基地の方で追うとのことです、ネート博士。こちらに向かっていたラー・カイラムがその任に着くそうです」

「分かりました。ありがとう」

ソフィアは窓の外を見た。

(そば)にアウセンザイターがやってきて停止した。

ダイゼンガーは中空で刀を下げている。

そして――

探した機体は損傷はあったが、無事のようだった。

大きく息をつくと、安堵と怒りとがない交ぜになって沸々と沸き上がってきた。目尻に浮かんだ涙をソフィアは素早く手で払った。

「機長、通信機を使わせてもらえませんか。あの機体と話したいのです」

どうぞ、と若いパイロットが自分のヘッドセットを差し出した。ソフィアは回線が開くなり、小さなモニターに映った男に向かって珍しく怒鳴った。

「なぜこんな無茶をするのです!なぜ!」

対して武人は何も言わず、ただ黙礼をした。彼の機体も手に持っていたレーザーブレードを納めた。

あたかも侍が納刀するように。

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