前略,兎が居ます.:参考資料

資料:webサイト

1911年にするか1912年にするか迷ってぶれながら書いてた.1911年のつもりで.最初,1912年にしてたから,墺太利のことに言及した時に,鯉登が墺太利《オーストリー》からの交換将校(=レルヒさん)のスキー演習について触れたりしてた(第七師団に1912年の2月頃来てる).1911にしたのでやめた.

北方資料デジタルライブラリー

北海道内の図書館等が所蔵するデジタル資料.明治時代の地図や写真もたくさんあって,検索できます.

兵営については,第七師団旭川衛戍地全図などを見ていたのですが,年代によって配置が微妙に違うみたい.戦時は多くなっているのかも.月島は第2大隊第7中隊のつもりで書いています.

そして,書いている最中の6/10に地元で時の記念日のドンが鳴り,「うわ~,お昼に午砲鳴るやん」と思って描写を追加していた.地図見ると分かるとおり,練兵場の角に号砲所があるから,結構な音が響いたのでは無いだろうか.

兵営の生活(明治陸軍関係資料集)
炊事の項とか,外出できるのはいつ頃かとか,あとは喇叭を参照.喇叭の音をどう表現するか聞いていた.ちなみに,食事喇叭はたいていの人が知っていると思う.

旭川第七師団兵営の炊事場の様子(蔵島 周さんTwitter)
写真があります.
兵科色(Wikipedia)
兵科#定色(Wikipedia)
歩兵の赤は「血を表す緋色」だそうです.
軍隊調理法(Wikipedia)
月島は古参だし,炊事班長やったりしないかなあと思いながら書いてた.炊事兵の階級は二等卒だけなのかとかはよく分からなかった.
内務班(Wikipedia)
休暇とか食事とか参照した.
軍医 (日本) (Wikipedia)
現役軍医は,医学部1年生の中から委託生試験で採用して,委託生は,毎年夏休みに軍人歩兵連隊に1ヵ月ほど入営(入隊)し,主として歩兵としての教練を学んだそうです.
日本軍の階級#明治35年の陸軍(Wikipedia)
軍医の階級ってどうなってたんだろうと思って.大隊附きは何人ぐらいの構成で医務室の勤務ってどんなだったんでしょうね.
旧制医学専門学校(Wikipedia)
最初,月島の教練を受けた軍医が配属になったことにしようと思ったんだけど,そもそも医学校無くね? と思って,仙台にしました.ただ,どこの師団でも委託生を受け入れてたのかよく分からない.
歩兵第4連隊(Wikipedia)
旭川みたいに,あそこだけで歩兵連隊3つ,騎兵・野砲・工兵・輜重兵連隊1つずつなんて大規模な衛戍地なんてそうそうなくて(だからこそ軍都と称されていたのか),第2師団の連隊はいくつか散らばっている.仙台は第四聯隊だったみたいです.編成を変えたりなんだりでいろいろ変遷があるけど. たまたまだけど,去年仙台に旅行に行って,この兵舎(仙台市歴史民俗資料館)行ってきてた. 兵舎保存のために曳家した説明とかあって面白かった.
北方資料デジタルライブラリー>旭川市図書館>古地図

再掲.『北海道鉄道網走線全通記念 図表』所収『旭川市街之図』(1912)を見ながら書いてて,左下の林檎畑あたりが渡辺の住んでるところに設定していたんだけど,今の地図と比べるとけっこう残っているのかも.

林野管理局が森林整備事業協同組合で,巡査駐在所は向かいに移転して神楽交番になったのかなあ.

砂川市地域学校協働本部PDF 28ページ(紙面下部の表示は21ページ)あたり
師團歴史を読んでいたら,しばしば師団長が砂川に工兵を見に行くので何でだろうと思ったら明治40年に工兵隊の演習廠舎を砂川に作ったかららしかった.もう史跡標柱しか無さそうだけど,1回行って確かめてみたい.
砂川駅(Wikipedia)
もともと歌志内や上砂川の空知炭田から出炭される石炭貨物の中継基地だったこと,木材工場がそろそろ作られていることから,この駅も貨物のキーになるのかなあと想像.
廃線探索 函館本線貨物支線(近文駅 - 旭川大町駅)(歩鉄の達人)

明治時代の地図を見ると,第七師団練兵場には引き込み線が入っている.これは近文駅から伸びる師団専用線.この跡地の現在の写真がある.近文駅には明治時代に建てられた待合室があるそうだ.見てみたいなあ.

旭川駅と近文駅,師団へはどっちが近いかというと,どっこいどっこいなんだけど,馬車鉄道が敷かれたのは旭川行きのようなので,基本は旭川に出るのではないかと思われる.ちなみに,「旭川」は当時「あさひがわ」と読んでいて,北鎮記念館に行ったときに「ASAHIGAWA」という表記のある資料の展示があったので,「ほんとにあさひがわだったんだ~」と謎にテンション上げていた.

深川駅(Wikipedia)
貨車の付け替えができるものかどうか悩んだんだけど,後には機関庫が設置されるし,留萌線ができた時点で,そこそこな規模だったんじゃないかなと考えて,ここで付け替えしたことにした.
120年目のエレベーター (函館・留萌本線 深川駅)(冬音のどーでもいい日記)
明治43年ごろの深川駅の写真有り.線路が5本ぐらい? どうにか車両連結してくれ.
深川市のあらまし > 深川市の小史 > 開拓のころ(北海道深川市)
駅前に家が建ち並んだ,とのこと.お店もできてないかなあと思って,一膳飯屋に行ってもらいました.
深川市(Wikipedia)
「深川の病院に運び込まれた」と書いてたんだけど,あれ?病院あったのか??と調べた.公立病院の設置は1918年以降で,その前に病院的な物があったかどうか分からなかったので,ぼかして書いてる.

拓植医(北海道開拓倶楽部)
深川の病院事情を調べていて.明治43年がどういう状況だったかは定かではないのだけど,「病院」というものは無かったかもしれないなあとも思っていて(旭川に運ぶとか),民間の診療所ぐらい無いかなあというつもりで書いています.開拓時代の医者の確保にはどこもずいぶん苦労していたみたいだし,庶民が簡単に医者にかかれるわけでもなさそうな時代だから,つくづく現代は良い時代だなと思う.
深川市の産業・歴史・特産品情報 - PREZO(プレゾ)
深川で何食べさせようかなと思ったときに,「ニシンを運ぶ貨物列車」とあったので,ニシンにしました.ところでウロコダンゴ食べたい.
北海道地方 北海道|うちの郷土料理(農林水産省)
留萌市は昭和半ばまでニシン漁で栄えたとあったので,身欠きニシンなら各地に運べるかなと思って.
留萠本線
1910年に深川-留萌間で開業.2026年には全線廃止が決まっている.良くも悪くも北海道は炭鉱と共に急速に発展し,それが崩れてどんどん地域経済が縮小していくのを色々なところで感じる.
根室本線
実は,砂川から旭川に向かう途中,滝川から根室本線が富良野の方に分岐していくので,ここで荷物がそっちに行ってしまったことにしようと思っていたら,その線ができるのは大正2(1913)年で,後述の秦先生の帰国が1910年なので,その後すぐに日本でも研究始めたかなあなどと考えていて,迷ったけど,まだ滝川-富良野間ができる前にしました.
操車場(鉄道)(Wikipedia)
日本の貨物操車場(Wikipedia)
「明治末期から大正時代にかけて,それまで駅構内の付属施設(仕分線)にて行われていた貨車の入換および貨物列車の組成作業を」とあったので,仕分線作業もできるだろうと想定.
安全の願いと殉職者慰霊碑(昭和の鉄道員ブログ)
ここで,汽車を連結したり解放したりする人を「連結手」と呼ぶことを知る.
普通貨物用車票(物流博物館)
貨車ってどうやって行き先見分けて連結し直してるんだろうと調べてみたら,横に荷札みたいにカードが挿してあるらしい.リンク先は明治~大正時代の普通貨物用車票.筆だと思うんだけど,ものごっつい達筆すぎて自分には読めん(笑).
昔の貨物列車は貨車事に行き先が決められていたのは知っているのですが,どこでも行っていたのでしょうか?(Yahoo!知恵袋)
一番新しい回答(2024.4.7 22:19)が興味深い.車票とか貨車の手配とか昭和の時代だけど,ためになる.
日本国有鉄道の荷物運送(Wikipedia)
旅客は昭和の頃まで飛行機みたいに手荷物を預けられた.チッキ無いのに旭川で揉めんかったのかと自分で思いながら書いてたんだけど,「兎が着いたはずなんですが」「ああ,あなたでしたか.え?貨車?いや,手荷物ならあるんですけど」みたいな遣り取りでごちゃごちゃになったことにしようと自分の中で有耶無耶にした.

明治期以降に開設され,現存する牧場の歴史的・産業遺産的価値について(月報「畜産の情報」)
明治時代の畜産業やってるところってどこなんだろうと思って.札幌農学校とかエドウィン・ダンさんとかの話とか,明治時代にどの辺りから酪農始まっているかとかが書いてある.江別で牛を飼うために町村農場が開かれるのはもうちょっと後の大正6年.

北越殖民社(Wikipedia)
新潟県で設立された北海道開拓社で,野幌・江別太で農業・林業・畜産業などを行った.そうです.江別は函館本線の駅もあるし,兎はここから来たことにしました.でも,兎は飼ってないと思うので,あちこちで集めたノウサギ等ををいったんここに集めて送り出した想定.

江別太
実質的な江別太開拓は北越植民社が行ったようで,越後村とか越後神社とかあるらしいです.この記述見て,鶴見中尉の縁故とかもあって,「この辺で阿片作ってたりしたのかもなあ」なんてちょっぴり思ってた.
食堂物語:今も昔も人々の交流の場となっている「食堂」の歴史(NEOL)
明治時代に定食屋的物ってあるのかなあと思って.一膳飯屋が近いのかな.
明治期の農林水産業発展の歩み>栄養改善と食品産業(農林水産省)
明治時代の飯屋で白米出たのかなあと思って調べてたら行き当たった.直接は分からなかったけど,いろいろ興味深い.旭川って難しくって,当時,北海道は米が美味い土地でも無かったし(これは昭和ぐらいまで続く),内陸だから,海産物難しそうと思うんだけど,缶詰はありそう.
高砂酒造の歩み
「一条通りの酒蔵」です.当時は小檜山酒造.この1909年に竣工した酒蔵の建物は残っていて見学もできるそうなので,いつか行ってみたい.(旭川駅の観光案内所にチラシもありました)
売薬行李等売薬用具一式(文化遺産オンライン:文化庁)
売薬さんの行李ってこういうんです.
富山薬学専門学校 (旧制)(Wikipedia)
1910-12ぐらいを想定していて,その頃の学校名を探していた.富山県立薬学専門学校開学が1910年.なんというか,売薬さんも大きく関わる学校なんですね.
旧富山大学50年史(富山大学)

廃止された部局>薬学部 の「第1章 前史」に薬学専門学校の記述がある.科目の一覧もあって,ちゃんとドイツ語教えてた!! ところで,富山県立薬学専門学校の2代校長は元陸軍一等薬剤正だったようです.

註:富山大学薬学部は,旧富山大学薬学部→医科薬科大学薬学部→現富山大学薬学部になっていて,このページは昔の富山大学史だから廃止された部局に分類されているけど,現在の富山大学には薬学部はあります.

明治初年のドイツ医学の導入について
昭和の後半まで医学・科学技術と言えばドイツ語の単語が多かったけど,あれ,明治期からそうだったの?と思って.やっぱりドイツ医学導入したみたい.
司馬凌海(Wikipedia)
話に余り関係ありませんが,日本初の独和辞典を刊行したのは佐渡の人だったみたいですよ.

サルバルサン(Wikipedia)
アルスフェミナン(Wikipedia独語版)
サルバルサンは商品名で,一般名(化合物名)はアルスフェミナン.Ehrlich-Hata-Präparatという名称はドイツ語版の方に書いてあった.

『「魔法の弾丸」研究プログラムと日本の科学者』化学と教育70巻8号
秦 佐八郎|日本BD
微生物には親和性を示すが人体細胞には親和性のない毒物があり,そのように微生物を殺し,人体に無害な“魔法の弾丸”を開発しようと製剤番号606号のジオキシ・ジアミド・アルゼノベンゾール,通称“ サルバルサン(Salvarsan)”と呼ばれる梅毒の特効薬の解説有り.作中最後の方で「梅毒の特効薬だ」という台詞を書いていたのですが,そもそもこの1900年頃にエールリッヒさんが提唱した「Zauberkugel」自体が,「特効薬」という当時は画期的な概念で,この時代の日本だとあんまり一般的な単語じゃないのかもしれないなあと思って変えました.
秦 佐八郎(Wikipedia)
秦さんの略歴みたいのんはWikipediaにも.

医薬品の国産化に挑戦.若き技師たちが挑んだ「国産サルバルサン」
サルバルサンが日本に輸入されだしたのが1912年.このお話の段階ではかなり貴重なんじゃなかろうか.木箱を探し回っていたけど,釧路に行った荷物の方が重要だった.
エゾユキウサギ(Wikipedia)
エゾユキウサギ(層雲峡ビジターセンター)
兎を明治時代に北海道で飼育していたとは思えず,野兎を集めてきた想定(100羽もか).色とか調べてた.生まれたばかりでも毛が有るのは野兎だからです.「出産のための巣は作らず,草の上に「ボロッ」と」産むそうです.

養兎史年表(日本アンゴラ兎研究会)
大阪とか熊本とか広島とかの師団で兎肉を使ってたらしいです.「だから第七師団でも需要はある」とかうまいこと言って騙くらかした想定.
宇仁義和『近代日本の養兎事業1戦前編:副業と軍需物資の間で』2021 オホーツク産業経営論集, 30(1): 45-51
北海道での養兎は昭和頃.上川支庁が多いので,飼える土地ではあったのだろう.
実験動物としてのウサギ(日本実験動物医学会)
昔から実験に使われていたようです.実験のウサギはノウサギとは別で交配しない.
1 家庭飼育兎全例が感染した兎梅毒の発生例(獣医臨床皮膚科 10(2) 47-50,2004)
兎の症状の描写しようと思って.わざわざ引っ繰り返して陰嚢調べたりしないと思うから,鼻で.
ペスト
鼠が買い上げられていた話.東京市が1899年.その後も昭和元年まで感染例があり,流行っている都市はいくつかあるので,新聞沙汰になってただろうし,月島は聞いたことがあってもおかしくないかなと思って.
変わりダネの税(国税庁)
ここまででクイズの答えは分かったも同然なんだけど,解説もあるので読んでみてください.
北海道旭川市の名字ランキング 1位から100位まで(同姓同名探しと名前ランキング)

いつもモブの名前付けるの困るので,ここを見てだいたい上から使ってる.だいたい,名前を極力使わないで書いてるんだけど,「いや,軍隊なら名前言わないの変かな」とか,あまりにも同じ属性(今回は国鉄職員)が多すぎるとかで敗北して名前付け直してた.そういえば,佐藤齋藤と本文中に書いたけど,自分の住んでいる富山だと,清水とか石黒とかが多いように感じる.

生まれ年別名前ベスト10(明治安田生命)
名前の方もよく有る名前にしたくて調べたら出てきた.明治45年(大正元年)からの名前ランキングが出ています(ただし,明治安田の契約情報によるので,全国民という意味ではズレが生じる).明治生まれの祖父がめっちゃこの中の名前だった.漢字一文字の流行があるみたい.ということは,月島は当時の流行に則ったの前なのかもしれない.女の子はカタカナ2文字が多かったのがだんだん消えていく.でね.千代って名前,多いのよ.月島,生涯忘れられなかったかもしれないな……

日本人名前自動生成機(GAOSHUKAI)
そして,面倒くさくなってとうとう名前自動生成サイトで名前を作ってもらった.更に面倒くさくなって,違う話で名前付けた人出したりしてた.
道内179市町村/50音別(北海道)
月島がアルファベット読もうとしている所で,あの時代,お土産はがきみたいのに英語で地名入ってるから,その知識なら一般人も知ってて不自然じゃないだろうと地名を探していて見つけた.

資料:書籍

『新旭川市史』第8巻
なんとなく1911~1913年頃で書いている.この頃の本当の軍医部長は山田太良という方で前任地は韓国駐箚京城衛戍病院長で,第二等軍医(佐官相当).明治43年7月12日附の着任.この頃の他の日付を見ていても,着任が切りの良い日とか4月1日大異動とかではない感じ.敢えて言えば,12月1日が一区切りな感触がある.明治44年に樺太衛生査閲していたので,その記述を引っ張りました.明治44年の記述で陸軍主計将校が釧路とか樺太とかに物資調査に行っている記述もあったので,それも引っ張りました.師団長とか幹部は検閲とかの出張が多い.
『復刻版明治大正時刻表(6)』新人物往来社1998.9
『汽車汽舩旅行案内 第216号(大正元年9月 庚寅新誌社版)』の完コピ本.函館本線の時刻表はこれを参考にしている.あと,留萌線を見ると,留萠-深川間は2時間ほどなので,身欠き鰊にしたら運べるんじゃないかな.あと,旭川-釧路間が11時間だった.
『国語辞典』林幸行 著 修学道 明治37年12月出版
ダースが使われていた単語か知りたくて明治時代刊行の国語辞典見てみたら,「だあす」載ってた!単語の順番が面白くて,最初の文字は50音順なんだけど,そのそれぞれは1言(1音)の言葉,2言の言葉,3言の言葉……という順番になってる.「だあす」はコマ番号347(679ページ)目.収録単語の数は少なそうな印象なので,この辞典に載ってなくても使っていた語もありそう.その割に「たかみくら」なんて日常で使わなそうな単語が載ってるのは時代か.
『尋常小学読本』
3を見て,ローマ数字教えてたんだなとびっくりした.あと,日清戦争は日清戦争じゃなくて「明治27,8年戦役」と言っていたみたい.

資料:現物

献立表・28聯隊(北鎮記念館 旭川)
月島が考えている一週間の献立は,北鎮記念館に展示してあった第28聯隊のもの.時期が分からなかったので,予算額違うかもしれない.土曜からの表だったのが意外だった.週番も土曜交代みたいだったし,土曜が一つの区切りだったのだろうか.お話では下士が献立考えていることにしたけど,誰が献立考えるのかいまいちよく分からなかった.
吸い取り器(うちにあった)
作中,月島がインクを吸わせるために使っている吸い取り器はこんなのです. 上を緩めると回せるので,吸い取り紙をセットして使います. セットするところにはちょっとふかふかした物が挟んであって,吸い取りやすくなっている.

って書いたら,普通にコレクトさんが売ってた.

公用証/外出証(白壁兵舎史料館
公用外出証,白壁兵舎史料館に現物が展示されてた. もっと大きい木札を想像してたんだけど,コインロッカーに付いてるプラスチックタグぐらいの大きさだった.4,5cmかな.