料紙(りょうし)(めぐ)る:参考資料

資料:webサイト

次世代デジタルライブラリー(国立国会図書館
国立国会図書館デジタルコレクションで提供している資料の中から、著作権の保護期間が満了した図書及び古典籍資料全部が検索可能とのことなんですが,「この単語,この時代に使っていたのかなあ」という時に,年代区切って検索してみている.もちろん,書籍になるような物だけなので口語なんかは分からないけど.
内務班
一次資料は当たってなくて,ここの記載で書いているから,時代によって違うんだろうなあとは思う.
軍隊調理法

炊事兵の選び方とか炊事班長の話はここから.炊事班長は古参の軍曹がやるそうで,別の資料に「炊事班長をやったら曹長に上がる」と書いてあるのを読んで,月島もそのうち炊事班長やって曹長になってたらいいなと思った.炊事班長自身は物資調達の事務処理に忙殺されて調理はしなかったみたい.なので,炊事班長時代に商人と顔繋いだり主計将校に会計教わったりして退役後はこぢんまり貿易商......を隠れ蓑に大陸の情報をせっせと仕入れて鯉登閣下に流してたという全うの仕方をするのが妥当な路線じゃないかなあと想像を膨らませてました.

「炊事場」からみた日中戦争 : 元陸軍伍長・杉浦右一インタビュー
時代が違うんだけど,飯上げの様子が書いてあった.
明治陸軍関係資料集のくさん調べの資料)
兵営生活とか外出とかを参考にしました.各種喇叭が聴けて楽しい.正露丸のあれって食事喇叭なんだね
「旧歩兵第三聯隊兵舎(東京大学生産技術研究所・東京大学物性研究所)」の保存再生に関する要望書
最初「下士官室」と書いていたんですが,「あれ?昭和6年まで下士だな?でも,『下士室』(言いにくい)なんて言うだろうか?」と思って検索かけたら出てきました.下士室で良いみたい.平面図知りたい.
警察政策学会 管理運用研究部会『明治期の警察に関する諸考察』警察政策学会資料 第101号平成30(2018)年7月
明治期の警察の呼び方とか階級の名称とかが今と同じで良いのか知りたくて.最初期は邏卒だったけど,明治11年には巡査・警部という名称になっている.――というのを見た後で,『新旭川市史』第三巻に思いっきり人数まで書いてあるのを発見する.
北方資料デジタルライブラリー>旭川市図書館>古地図
年代の近そうな,『北海道鉄道網走線全通記念 図表』所収『旭川市街之図』(1912)・『旭川明細全図』(1910)・『第七師団旭川衛戍地全図』(1903)・『旭川区概図』(1918)あたりを印刷して眺めながら書いてた(あんまり生かせてない).衛戍地の地図見ながら,月島は第七中隊で二七聯隊の兵舎では真ん中辺りから出てきたらいいなーとか想像を駆り立ててた.
旭川の歴史展(北鎮記念館)
旭川の変遷と第七師団(北鎮記念館)
旭川の歴史を俯瞰するのに便利.もう電灯あるんだなあとか店ができた銀行がきたとかざーっと分かる.招魂社落成したのは1911年らしい.
もっと知りたい!旭川>「旭川歴史市民劇」解説⑥ 当時の街並み
もっと知りたい!旭川>アンコール・私の好きな旭川 VOL.12   「勧工場」となつかしのデパート
当時~昭和初期ぐらいまでの旭川の町並みの写真と解説があります.三浦屋と宮越屋の描写は,これと『新旭川市史』の入営時の記述から.
旭橋のあゆみ
旭橋(旭川市)
この当時の旭橋は初代旭橋.
林川俊郎『旭橋の技術伝承と新北海道三大名橋への提案』令和4年度土木学会北海道支部年次技術研究発表会 部門A 講演
初代旭橋の写真が載っている.
常磐公園
できる予定の公園.ちなみに,揮毫の時に字を間違って「常盤」のはずが「常磐」公園にしてしまった渡辺師団長は,小学校中退で大将まで登った人です.(※名誉のために追記すると,この人は陸軍大学校を首席卒業している)
日本国有鉄道の荷物運送
母と話していたら,突然,「函館から富山まで来たら駅でチッキを取りに行っている時に」と言いだして,「チッキって何?」とよくよく聞いてみたら,どうも昔の国鉄は飛行機みたいに手荷物預けたりできたみたい(母の話は昭和40年代である).それ聞いた時,「陸大に行く鯉登少尉はきっと汽車に乗る時,手荷物預けたんだろうなあ」と思いました.
明治の乗合馬車と馬車鉄道
馬車鉄道って地図に停留所も書いてないし手を上げて止めるんじゃないかなと思ったので調べたら,やっぱりそうみたい.

昔は田舎のバスはあそこの角で下ろしてくれと言えば下りられた.便利だったんだがなあ.

初代旭橋と馬鉄
冬も馬車で大丈夫だったのかなと思って探してみたら,明治の冬の馬鉄が写ってた.ちゃんと馬車だった.師団司令部前の写真もあるよ!あと,話に出した常盤通の写真もあります.
メイジノオト>文明開化がカギ!カレーライスにとんかつ,コロッケ.明治時代に誕生した洋食の魅力(博物館明治村)
どんな洋食が一般的だったのかなと思って.
キレンジャク/ヒレンジャク|日本の鳥百科|サントリーの愛鳥活動
おはなしの中でチリチリ言ってるのがキレンジャク.キレンジャクは旭川市の鳥です.上記ページで鳴き声が聞けます.冬になったら旭川に群れになってきて,ナナカマドの実を食い荒らすそうです.見てみたいなあ.
嵯峨本
中身はいろいろで,謡とか『方丈記』とか『徒然草』とか.軍曹が読んでいたのは『伊勢物語』で,軍曹は「よく分からんな」と思いながら読んでる.(字を追いかけているだけの人)
『大正・昭和初期東京における再生資源回収業に関する一考察』
明治時代も屑屋がまだ古紙回収していたみたい.
浮世絵文献資料館>その他>早稲田文学
明治二十五年の記事として『屑屋のに買はんといひし古錦絵二百余枚と古絵本二冊とを』とあったので,量が少ないのと売る方なのと二十年ほど経っているので五銭にしました.実際のところいくらぐらいだったんですかね.
「屑屋おはらい」(小父さんの感傷旅行)
おはらい箱(管理人室 名古屋コーチャン>なぜ? 知って楽しい 語源 / 豆知識)
「竿や~竿竹~」みたいに屑屋も掛け声あったんでないの?と思って調べたら出てきた.そういえば,竿竹売りも最近見ないですね.
五銭硬貨(wikipedia)
この時代だと,菊五銭白銅貨か稲五銭白銅貨になるのかしらん.どっちにしろ,白っぽいのだと思う.

資料:書籍

『新旭川市史』
いつものネタ帳.原作軸書く時は,第一巻・第三巻・第八巻(=師団歴史)をざざっと見てる.今回は,第三巻から東旭川兵村の記述,警察組織の記述は184ページ~.入営と兵営生活p307~.入退営のにぎわいp376.馬車鉄道の敷設p381.醸造業の発展p436など当時の旭川ってお金持ちってどういう商売なのかなと思ったら,お酒を造るのに資本が必要で~という記述があったので,盗みに入られたのはそこにしました.
平山晋 編著『写真集 日本軍服大図鑑 明治篇』
解説と一緒に豊富な写真が載っている.防寒着は防寒着という単語で良いのかなあと思って調べていた.結局,自分が思い浮かべていたのは「外套」で,防寒着は30巻裏表紙の月島が来てるアレです.ところで,この防寒着,でかい人も着られるようなワンサイズしかなかったようで,月島が着たらどう考えてもぶかぶかです.ありがとうございました.
新井紀一『怒れる高村軍曹』(青空文庫)

明治の頃は一等卒二等卒であって,「卒」が「兵」になるのは昭和3年なんだけど,じゃあ新しく入隊した人は何て言うんだろう,「新卒」はいやいやさすがに変だろうと思って検索したら小説が引っかかりました.この作品は大正5年の作品で,既に「新兵」とか「新入兵」と書いてあるので,「新兵」で良いのだろうな,と.

新井紀一という人は兵役も経験しているそうなので,この話の描写も参考になるんだろうなと思います.しかし,高村軍曹,鬱屈しているなあ......

特別展 和食 公式ガイドブック』
たまたま2023年末に国立科学博物館に展示を見に行って買ってきてたガイドブック.日本の洋食も和食の一種扱いで,明治からの広まり具合がちょっと書いてある.