国鉄側の調査の状況を確認してから帰ることにしようと旭川駅で尋ねてみると、折良く師団司令部に病人のことを報せにきた阿部がいた。秀さん――たぶん、名前が秀男とかなんとか言うのであろう――と呼ばれた駅員は、月島を見留めるとすぐに用件を察したらしく、事務所の隅に設けられた机の方を手で示した。月島が椅子に座ると、阿部も帳面を一冊持ってきて机を挟んだ向かいに腰を落ち着ける。制帽を取った阿部の頭には白い物が混じっている。
「最近、立ちっぱなしが辛くてね。――で、軍曹さん、わざわざ来てくださったけれど、師団にお知らせしたところから進展はあまりないんですよ」
月島はこっくり頷いた。まさか上官が「国鉄に誤魔化されたくない」と言っているなどとは言えないので、その辺りは暈かすことにする。
「上官から直接話を聞いてこいと言われて、あちこちで話を確認する羽目になったのです。昼には深川で貨車の手配をしている方から話を聞いてきました。ただ、夜勤の方の話は聞けなかったのです。帳簿に兎の手配を書いたのは夜勤の担当で、今この駅に呼び出されていると聞いたのですが」
すると、阿部はうーんと困ったように口籠もり、人目でも気にするように少し声を潜めた。
「それがですね。日勤の者から先に話を聞いた上の者が、貨車の帳簿に何で余計なことを書いたんだって、最初からかなり厳しい調子で叱責して、そこから、書いた書いてないで言い合いになって、詳しいことが聞き出せなかったというか、事情を聞く気も無いような調子だったというか……」
「同席されたのですか?」
「いえ。ただ、隣の部屋でしたから、大声は聞こえましたよ。『兎百匹なんて、どこからも依頼は無いだろう』とか『そんなことは書いていない』とか怒鳴り合っているのは」
「……」
端から決めつけて下の者を詰問するような人間は将校の中にもざらに居る。月島が少し眉を顰めたのを見て、駅員は、ふう、と小さく息を吐いた。
「まあ、そいつもそいつなんですよ。書いてないって言ったって、帳簿はそいつの字だったらしいから」
「ですが、それでは調査にならないでしょう。そちらの中のことだ、口出しする気はありませんが」
それを聞くと、阿部は面目無さそうに頭を掻いた。
「まあ、それで、駅の他の者の間で相談して、頭が冷えた頃に今度は深川の駅長から聞いてもらおうということになりました。深川の駅長の方が付き合いも長いですから。師団と揉めたくなくて事を急いたのでしょうが、最初からそうすれば良かったのに」
この件についての進展は、それを待ってからと言うことだ。月島は別の質問をした。
「江別で兎の貨車を依頼したのは誰なのですか」
「奥田宇吉って言うんですが」
おや、と思って聞き直す。
「そんなにすらすら名前が出てくるほどよく利用する人物なのですか」
そこで駅員は、どう言ったものかと迷うような様子になった。
「なんというか、山師じみていると言いますか」
「鉱山の……と言うわけでは無いようですね」
「そうです、胡散臭い方。時々羽振りが良くて、そういう時は貨車を利用することもあるんですが、一貫性がなくて」
「つまり、まともな商売人に思えないと」
「ええ。たいてい、その時の流行の品。それから、時々妙な荷物を手配するんです」
「今回は兎だった」
「そうなります」
「奥田から苦情は来ていないのですか。荷物が届かなければ文句も出るでしょう」
「いいえ、それどころか連絡も付かない有様で。どろん、雲隠れ」
阿部が煙か何かが立つのを示すように、手のひらを上に向けてぱっと広げてみせる。
「前から荷主になるたびに書いてくる居所が違うんですよ。そういうところも如何わしいのです」
「受取人は奥田ではないのですか」
「違う人でしたね」
そう言うと、駅員は帳面を開いた。
「ええと、あ、これだ、これだ。渡辺って人です。渡辺昌範」
「その渡辺某からは何か言ってこないのですか。兎が届かないのだから――」
「それが、受け取りはされているんですよ」
月島は片眉を上げた。
「では、師団に来たのとは別にこの駅に着いた兎もいるのですか」
「そうなりますね」
「同じ日に」
「同じ日に」
これでは師団に居る兎の引き渡し先が分からない。月島は少し考えてから訊いてみた。
「その渡辺という方に話を訊きたいのですが、住所は分かりますか」
「ああ、それは、うちも同じ事をしようとしたのですが、駄目だったんです」
「まさか、その男も雲隠れですか?」
「いえ、家はここから忠別川挟んで対岸の林野管理局の辺りで」
「林檎畑のある?」
「その近くです。巡査の駐在所が有る辺りで、そこで訊いてみたら、前から住んでいる身元も確かな人物らしいんです。まだ若いんですが畑もそれなりに広くて人も雇っているし、最近は売るための牛も飼っているとかで。これが、土曜に帰ってきたかと思ったら、次の日の夜頃かんかんになって出て行ったそうです。留守を任されたという人が言ってました」
「かんかんになって駅に来たわけではないのですか。荷物が違うとかで」
「来ていません。私が思うに奥田を探しているんじゃないですかね」
「どういうことですか?」
月島が問うと、阿部は訳知り顔に頷いた。
「さっきも言ったでしょう。奥田は山師みたいな人物だって。今回はその渡辺さんという人を騙したんじゃないかと思っているんです。これからは兎が儲かるとか何とか言って」
「しかし、兎でいったいどんな儲け話を」
月島が考えるとも無しに呟くと、阿部は肩を竦めて首を振った。
「さあ。うちの親父が言ってましたが、御一新の後には東京とか大阪で凄い値段だったことがあるみたいだし、そういう話で言いくるめたんじゃないんですかね」
月島は眉間に皺を寄せて考えながらさらに訊いた。
「それで、奥田は騙した相手から逃げ回ってるのではないかというのですか」
「そうです」
「渡辺は騙されたと気づいて、奥田を探しに出た、と」
「そう」
月島は考えをまとめようとしばし沈黙したが、どうにもまとまらない。そもそも、核心を知っていそうな人物が悉く捕まらないのだ。
気がつくと、阿部が月島を凝と見ている。次は何を問われるかと待っているらしい。しかし、何も思いつかぬ以上、待たせていても仕方がない。今のところは帰るとするかと思った時に、ふと思い出した。
「話は変わるのですが、汽車で倒れたという方の手荷物は見つかりましたか?」
「手荷物……? ああ、深川の病院に運ばれた人の方ですね」
言いながら、阿部は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「申し訳ありません。木箱は手掛かりがないのです。深川駅の者の話では預け入れ荷物として旭川には着いたはずなのですが、元が夜中に倒れた病人の、本当だったら託送では無かった荷物でしょう? 何かに紛れたのかこちらには着荷の記録が無いのです。ただ、鞄は見つかりました」
月島が僅かに目を見開いて相手を見ると、駅員はこっくり頷いた。
「実は、寝台の毛布に紛れていたのか、そのまま釧路に行ってしまって」
く、と月島は口元を引き結ぶ。有り得るとは思っていたが。
「どんな鞄か分からなくなってしまっていたので、当時同じ客車に乗っていた乗客に心当たりが無いかと呼びかけて、ようやく名乗り出てくれる人があったのが今日だったのです。それで特徴が分かったので、旭川から先の駅全部に問い合わせて、釧路駅の遺失物掛が保管していたことが分かりました。それが午後のことで、今、旭川に送り返すように頼んでいます」
「荷物が釧路を出たのはいつですか」
「あいにく今日はもうこちらに来る列車が出てしまっていたので、明日の午前八時二〇分に出る四急に乗せる予定です。遅れなければ明日の午後七時過ぎに着くと思います」
「そうですか……」
「ちょっと前に来た憲兵さんにも伝えましたよ」
言われて、弾かれたように月島が顔を上げたので、阿部が目をパチクリさせた。驚かせたことに気づいて、ばつの悪い思いをしながら、
「いえ、何でもありません」
と、言い訳のように口の中でもごもご言うと、手短に挨拶をして月島はそそくさと駅を出た。
そうだ、つい訊いてしまったが、病人の件は月島に与えられた任務ではないのだ。