1999年2月 8日

私は何を蹴り落とせば良かったんだろう

夜,道を歩いていたらおじさんがにこやかに「こんにちは!」と挨拶をしてきた.私は頭を下げた.そしたら,そのおじさん,

「なんたらかんたらはなんたらと4時間40分.それで分からなかったら蹴り落としてしまえ」

なる言を吐いたのである.

もちろん,しらない人である.(接続詞の使い方が間違っているぞ>自分)

その場はうん,とうなずいてすれ違ったものの,よくよく言葉を咀嚼するとどうにも気になって仕方がない.聞き取れなかった最初のほうはなんと言ってたのだろう.

おもわず駆け寄ってもう一度訊こうと振り向いたら,曲がってしまったのか,おじさんはいなかった.

ある雪の日の出来事である.

| 雑記 |

1999年1月31日

スキー合宿のお知らせ

H大S学部P学科N研に突如張られた掲示.

スキー合宿のお知らせ

日時:3月上旬

  • 都合の悪い日を教えてください.
  • ゴンドラ10本必修
  • 合宿後,「スキーと物理」という題でレポート提出.(TeXのみ受け付ける)

毎年,研究室のメンバーでスキーに行く(らしい).私はスキーはまったくやらない(できない)ので行かないけど.

H先輩によれば「教官の数の方が学生より多いときもあった」そうだ.スキーなんてスポーツは金がかかって仕方がない,と私は思っている.

もちろん,レポート提出はジョークだが,本当に書くとしたらどんなことを書くのだろう.「着地面が平らだと衝撃が大きい理由を力学的に説明」したりするのだろうか.これじゃ簡単か.「ワックスと摩擦係数の関係」なんてどうだろう.だやいか.

いずれにせよ,関係ない話ではある.

| 雑記 |

1999年1月14日

冬になるとケーキ作るも一苦労

toschと映画を見に行く約束をした.約束の場所に行くと,toschは手提げ袋を持っていて,「後でこれ作ろう」とケーキ種の箱を見せた.

「ふーん……で,誰んちで作るのかな?」と私.

「はは……うーん,オーブンのあるうちだろう」とtosch.

toschはオーブンを持っていないのである.必然的に私のうちだ.(だからといって,私が料理好きだとかそういうわけではなく,単に「トーストが焼ける電子レンジ」を買ったらオーブンがついてただけである)

さて,映画を見終わり,いくつかうろついた後,家に帰る.toschはたびたびうちに来て,来るたびに紅茶入れさせられたり(客にやらせるか!>俺),たまにおかずを作ってくれたりするので(客に[以下略]>俺)するので,勝手しったるものである.

今は便利なものでtoschが持ってきたのは卵2つをそのケーキ種に混ぜればいいという商品である.toschは卵を割り箱を開けてその中にケーキ種をいれようとした.が,堅くて削るようにしなければ落ちてこない.

「変だなぁ」とtosch.

「そういうもんなんじゃないの?」と私.

「だって,写真を見る限りではもっとどろっとしてるよ」

なるほど,写真ではちゃんと溶けている.で,ふと注意書きをみつけ,読み上げる私.

「常温で保存してください」

一瞬の沈黙の後,2人で笑う.なんせ,最高気温がマイナスだったし,現にちょっと前に見た温度計は-7℃を指していたのだ.(さらに,うちはストーブを点けてない)

「だまが無くなるまでかき混ぜろってさ」

「だま以前の問題じゃん」

といいつつ,toschは根性で混ぜつづけ,なんとかケーキは焼けましたとさ.(おいしかったです)

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1998年7月26日

バーゲン期 自己完結する お買い物(淙穂)

1年に1,2回ほど服なぞ買ってみましょうかという気分になる.

ほんとうは袋を買いに行っただけだったのだが,興がのって服を買おうかなどという気分になったのでデパートをうろついてみた.

これなんか良さそうだねぇなどと思いながら,いざ買おうかという段になってふと気付く.そう,私はどうやら「大きいサイズ」と「通常サイズ」の合間にいるのだ.つまり,デパートによってどっちのコーナーにあるかが違う.これが私の服探しの最初の困難である.

次なる困難はエラク簡単で,服なぞめったに買わないものだから値段が非常に高いもののように感じるのだ.いいなぁと思うものほど高いのだから始末に終えない.

その日も徐々にその展開をたどり,結局,何も買わなかった.

なんなんだかなぁ・・・

| 雑記 |

1998年6月20日

スマイル0円

食堂にいったらタコス屋がいた.

タコス屋のあんちゃんはマスクをしていた.

価格表のところに「スマイル0円」とあった.

あんちゃんに「スマイル」くださいと言ったらどうやって笑ってくれただろう?

| 雑記 |

1998年6月 7日

学祭は いつも雨

学祭の喧燥も建物の奥の奥,われらがN研究室まで来るとまったく届かない.まったくもって静かなもんである.

この時期に学祭と言うと「はやいねぇ」と言われるんだが,ここ北海道で秋に学祭をするのはあまり現実的でない.誰が寒い中,出店などしたいものか.この時期でさえ寒いというのに.

さて,毎年のごとく,学祭は天気が良くない.この時期に雨が降るということ=寒いということである.実際,札幌の最高気温は11.9度.夜になると研究室ではストーブをつけていた.外で出店をしてる連中においてはなにをかいわん,である.

学祭は我々の生活にはほとんど影響を及ぼさないが,便利なこともある.この時期だけ午後10時という門限がなくなることと,学外に出なくても食事を調達できることである.

まあ,たこ焼・お好み焼き等に食べ飽きず少々高いことに文句を言わなければだが.

| 雑記 |

1998年6月 3日

なぜ お茶系の缶はスチールが多いのだろう.

前々から「紅茶とかお茶とかコーヒーのカンカンはスチールが多いなぁ」とは思っていたのだ.ところが,最近,烏龍茶がアルミのカンカンに入っていた.

私はてっきり,「アルミだとお茶の成分が侵食するのかなぁ」などと思っていたので,これで分からなくなってしまった.よくよく考えてみれば,アルミニウムというのは作り方を考え出すのに賞金が懸かったほど分離が大変な金属で,お茶ごときに侵食されるわけがない.(たぶん)

なら,なぜお茶系統の飲み物はスチール缶に入っているんだろう?

| 雑記 |

1998年5月31日

「ちっくしょう」と教授は言った.

今年は学会がフランスで行われる.

さて,いつものように研究室へ向かうと,研究室のボスN教授がせわしく動いている.いつもならざる様子である.

まもなく,理由が判明した.

N教授のパスポートの期限がつい10日前に切れてしまったのである.

パスポートを取るにはいろいろ書類がいるのだが,一番面倒なのが戸籍抄本.本籍地でしか取れないのだ.引っ越したときに,住民票を移す人は多いが本籍まで移す人はめったにいない.N教授もそうで,本籍は金沢.ここは札幌.(笑)

これが「継続」手続きだったら,いらなかったのだ,戸籍抄本は.

いろいろと調べてみたものの,どうしても戸籍抄本を取らなければいけないことが判明したとき,N教授は冒頭の言を吐いた.合掌.

| 雑記 |

1998年5月21日

燃え尽きちまったぜ,真っ白にな……と思った一言

「微分のことは自分でしろ」と先生にほざかれて固まってしまった大学院S学部P学専攻・約20名の皆さんに愛の手を.

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1998年5月20日

シナトラ氏が亡くなった

フランク・シナトラ氏の逝去に端を発し行方不明になっていた淙穂鶫箜氏が29日未明,野幌森林公園にてキタキツネに喧嘩を売っているところを地元の草刈り十字軍が発見.

淙穂氏は現在「ジーン・ケリーさんはどうなった」などとわけのわからないことをわめいていると言う.

この物語はすべてフィクションです.モニターが壊れますから物は投げないでください.

去る5/14夜にシナトラ氏が亡くなったのである.私はそれを知り,研究室で大声を上げた.が,衝撃を受けていたのは私の周りではどうやら私だけだったようだ.

さて,シナトラさんの出演した映画というときっとアカデミー助演男優賞をとった『地上(ここ)より永遠(とわ)に』に話がいっちゃうと思うんだけど,私はこれよりも,もっと若い頃にジーン・ケリーさんと一緒に出演してたミュージカル映画を思い出す.だって,『地上より永遠に』見たけど,ぜんぜんシナトラさんの場面思い出せないんだもん.

奇しくも私は24日にジーン・ケリー主演の『魅惑の巴里』(シナトラは出てない)を映画館に見に行ったのだが,自分がこれでもかってほどジーン・ケリーが好きなことを改めて思い知った.彼が画面に出るだけど顔がほころびる自分がいるのだ.

かつてジーン・ケリーが夢の中に出てきたことがある.劇場らしきところの客席に好々爺になった彼が座っている.私はそれをみつけて話し掛ける.彼はすごく優しくていろいろと話をしてくれる.最後にサインをしてあげようと言われ,私は紙を持ってなかったので探しに行ったのだが,帰ってきたら彼はいなかったのだ.悲しくてしょうがなくて目が覚めた.そういう夢だった.

| 雑記 |

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